2009/09/29

私のスイス、ヨーロッパ(111)

 ここ数週間大変忙しい日々が続いた。おまけにいつも使っているノートパソコンがお亡くなりになってしまい、メールやインターネットに不便が生じていて、なかなか接続できなかった。

 今年の4月に、今のままでは夏場を含め今後仕事の確保が困難となる事がわかり、現在の工場からの撤退を決断した。借りていた工場の契約で、解約の6ヶ月前に通知する必要があった。4月に解約を申し出ても10月まで家賃を払い続けなければならない。これも交渉して1ヶ月縮めてもらい、9月末での解約にしてもらった。

 夏場は日本人旅行客の弁当が主な仕事だった。今年は新型インフルエンザや不況の影響で、この需要が激減してしまった。また冬場、2月から5月の4ヶ月間はいつも仕事の少ない時期なので、これを見越すと早いうちに撤退を決める必要があった。振り返ると、4月は自分にとって精神的に大変不安定な月だった。

 工場を解約して、新たにお店を出す案と状況が好転するまでどこかに就職する案、日本に一時的に帰って実家を手伝う案などが交錯した。新たに出店する案については、場所もあったのだが出店に要する費用をどうしても工面できなかった。今は景気も悪く、銀行もダメ、お金を貸してくれる人も確保出来なかった。

 私の母曰く、今は景気が悪く、誰もお金を貸そうとしない。暫く日本に帰って家を手伝い、その実績を積んで家の取引のある銀行から借金が出来る様になるのを待ったらどうかと言われた。実家は「もつ亭志門」というもつ料理と海鮮料理のお店を出している。今は開店時の借金があるが、お店自体は順調で、いずれ借金を返済した際には融資も受けられるだろうということだ。

 この一時帰国の案が一番いい様に思えた。銀行から資金が調達できるなら、一番安心だ。妙なしがらみを抱え込むこともない。しかし、どこかに就職する案もとりあえず探ることにした。どのみち9月までに進路を決めればいい。とはいえ、日本に帰るということを前提に諸々の準備を進めることにした。妻には長くて3年は実家の手伝いをすることになるだろうと説明した。

 そんな折に、ナイジェリアでの通訳の仕事が入ったり、ローザンヌで手打ちうどんを出したいというスイス人が現れてきた。日本人旅行客向けの弁当は予測通りほとんどなかったが、イレギュラーで入ったイベントの仕事や、通訳、8月の閉店に伴うセールなどで夏場はそれなりに仕事ができた。

 ローザンヌで手打ちうどんを出したいという依頼は、9月に2週間の予定で試験販売をしてみようと言うことになった。9月はこうして、前半がローザンヌでの試験販売、後半は工場の撤収で大変忙しい月となってしまった。この試験販売はローザンヌ・パレスホテルにある寿司レストランで行うこととなった。

 ここでの仕事は、お世辞にもいい環境ではなかった。とにかく調理場は狭いし、麺調理に必要な設備もない。階下にあるホテルの調理場を使わせてもらうことが出来たので、それでなんとか凌げることが出来た。しかし設備が揃わない分手間が余計にかかり、毎日12時間以上の労働となる日々が続いた。

 試験販売自体はうまくいったようだ。お客からの評判もいいと聞いた。何しろ、この話しを持ってきた社長が大喜びで、これからもうどんを扱いたいと申し出てきた。それもすぐにだ。これは予想外の展開で、当初は来年1月に開店予定のレストランでメニューに入れたいという話しだったのに、出来るなら既存のレストランにも早急に展開したいという事に加えて、スイスでも有数のデパートのマノールにも展開したいと言うことだった。これは確かにいい方向の予想外の展開ではあった。

 これは日本の麺をスイスに紹介して行くには絶好のチャンスの様に思える。今まで全部独自でそれを展開しようと思っていたのだが、スイス社会に展開して行くのにはやはりスイス人のビジネスパートナーがいた方が早い。彼のコネクションとインフラを使えば、少なくとも数店規模で直ぐに展開が可能だし、私には出来ない事だった。ここは彼と手を組んで事業を進めるのが得策の様に思えた。

 試験販売を終えて、いよいよ工場の整理に取りかかった。店じまいとは嫌なものだ。第一、それでお金が入るわけではない。手間もかかるし、廃棄処分になる材料や器具なども沢山出てきて、廃棄処理にもお金がかかる。予想以上の出費があった。そして全てを搬出し、掃除をして、空っぽになった工場を見たら、大変寂しい想いが襲ってきた。この工場で働いた5年の年月は何だったのだろうか。工場は空っぽ、心の中も空っぽ、今までの歳月も空っぽ、そんな空しさが襲って来た。

 工場を空っぽにして、そして扉を開いて外に出る。もうここに戻ることはない。きっと、振り返っちゃいけないんだと思った。私に残された未来は、外に出て行くことだけだ。そして外には希望が待っている。「天は自ら助くる者を助く」サミュエル著「自助論」の中の一節。私の人生の指針の一つ。この言葉を噛みしめた。

 ただ、正直言うとヨーロッパでの生活も多少飽きが来ていて、日本に帰りたいという本心も半分ある。今の自分に、ヨーロッパは特に未練がない。確かに生活水準といい、スイスはいい所だ。明らかに日本よりスイスの方が進んでいる。でも、日本は自分の故郷で、そこには自分が心底安寧でいられる文化、食べ物、習慣がある。

 若い頃はさほど気にもならなかったのに、何故か齢を重ねた今日この頃、そうした自分のルーツみたいな環境が、実は一番いいんだ、というような気持ちが強くなっている。これは自分の幻想かもしれない。日本に住めば、自分がそこで嫌悪していた習慣や現実に再び直面するだろうということも容易に想像できる。やはり、どこの世界に住んでいても、楽あれば苦ありといったところなのだろうか。

 私は一人っ子だから、いずれ日本の高川家財産を引き継ぐ事になる。別に相続放棄することも可能だろうが、それはちょっともったいない。とはいえ家族はスイスにいるし、子供たちはスイスで成長して自立していくのが一番だと思っている。私が日本に住むと言うことは、日本に単身赴任するという状態に等しい。現実は色々な環境で板挟み状態だ。もっとも、それはスイスに来る前から覚悟の事だったのだけれど、現実的に帰国が迫って来ると切実として感じるようになった。

 今のところの考えは、とりあえず数ヶ月日本に帰って、日本においてのビジネスの可能性と、その下地造りをし、早めにスイスに戻ってローザンヌでのビジネス展開に労力をついやしてみようということだ。将来的には、一年の半分をスイスで、残りの半分を日本で暮らすことが出来たらいいなと思う。

 なんて贅沢な目論見だろうと思う。でも、そうしたチャンスを与えられる日本人も少ない。望んでいてもチャンスを与えられない人も多いのだから、これを放棄すること自体が大変罪深いことの様にも思える。これはやらねばなるまい。成功するか失敗するかはわからないけれど、どちらにしても少ないチャンスを得てそれに挑戦した者の一つの足跡にはなるだろう。

 結果はわからない。でも、今までの経験によると、何かに挑戦しているときが私にとって一番楽しい。夢は大きい方がいい。だから、自分の与えられた環境の中で、一番大きな夢を追いかけたい。何故ならそれが一番楽しいことで、それに失敗しても悔いはないからだ。やりたいことをやったのだから。

 私は今までどちらかというと堅実派の様に自分で思っていたけれど、型にはまった人生に退屈を感じる性格といい、夢を追っている事の方が現実より好き、という性分といい、そんなことを加味して分析すると、本質は、実は勝負師気質なのかも知れない。

2009/09/28

私のスイス、ヨーロッパ(110)

(ナイジェリア編 その2)
 ようやく空港につく。それでも日曜の朝方なので2時間でついた。車は空港の駐車場に入った。空港ビルへ行こうとしたら、ここで待つように言われた。あまりうろうろしたくもないので車の中で待つ事にした。トイレに行きたくなる。トイレはどこかと訪ねると、小の方かと聞かれる。そうだと答えると、ついてこいと言われた。警察官の後ろをついて行くと、駐車場の後ろの野原に行く。おもむろに立ち止まって、ここで大丈夫だという。警察官に立ち小便を勧められた。思わず笑うと、警察官も笑って、少し離れた所で用を足し始めた。警察官と一緒に立ち小便なら、それが空港の駐車場内でもこわくはあるまい。

 待つ事1時間。日本人の技術者がやって来た。メーカーの熟練した職人さんだ。久しぶりの日本人との会話となった。彼はえらい長旅で疲れたと言っていた。ほとんど1日中飛行機に乗っていたそうだ。関空からドバイ経由でラゴスに入った。関空からドバイまでが12時間で、ドバイからラゴスが7時間くらいだったそうだ。因みにロンドンからは6時間半でつく。岡山弁のある人と聞いていたが、関東の出の私には、関西方面の方言がどこの出かなどさっぱりわからない。

 彼も送迎車から見る景色にはびっくりしていた様だ。興味もあったらしくしきりに写真を撮っていた。一応、ナイジェリアでの写真撮影の制限について説明した。また警察官からは車が停車したら、写真を撮らないでくれと言われた。

 彼も、これじゃ日本人はナイジェリアで車を運転できないと言った。あまりのすさまじさにあてられていたようだ。戦後の混乱期に、日本でもこんな光景があったのかも知れないねぇ、と続ける。要するに、この状況は日本人の目からは混乱しているわけだ。そこを走り抜ける送迎車。だんだん私たちの運転手が凄腕ドライバーに思えてきた。凄腕ドライバーのおかげで無事ゲストハウスにつく。

 職人さんの彼は英語がほとんどわからない。ナイジェリアの公用語は英国植民地であった経緯があって英語だ。そんなわけで私に話しが来て、ナイジェリアで彼の通訳をですることになったのだ。私の仕事は彼が行う機械の設置作業の通訳を行い、無事彼の仕事を完了させることだ。過去にマルセーユでの通訳の仕事で大汗をかいたことがあるが、今回はもともとエンジニアだった私にとっては苦のない仕事だ。しかもイランで同じような仕事をしたことがあるので、勝手がわかっている。かなり気楽でいた。

 食事は全て洋食だった。サラダから始まり、メインディッシュ、デザートと続く。果たして彼の口に合うか心配だったが、美味しいと言って食べていたので一安心だ。とりあえず、醤油と和風ドレッシングは持参していた。結構これでしのげるものだ。やはり醤油は大正解で、私も彼も結構醤油で味を調えて食べたりした。

 7月21日、曇り。ナイジェリアの7月は雨期で、天気はあまり良くない。日に一度は雨が降る。6月が一番雨の降る月らしく、土砂降りが何日も続くことがあるそうだ。雨期は乾期より気温が低くなるが、湿気があるので蒸し暑くなる。雨がひどいと空港に行くにも大変で7時間もかかったことがあるそうだ。当然、飛行機には乗り遅れる。

 現場仕事の当日、工場全体の工事責任者がやってきてスタッフの紹介をしてくれた。その際の注意事項が、どうか短気にならないでということだった。例えば工具一つを取りに行くのに30分かかることがある。それは、収納庫まで片道10分かかり、工具の持ち出しの手続きに10分かかることがあるからだと。こちらでは普段の通りに行かないことも多いから、短気にならず寛大な気持ちでいて欲しいということだった。といっても、工期遅れは許してくれないだろうが・・・。

 過去の経験からすると、そんな事を言われても現場に入った職人さんが納得するはずがない。実際にいらいらし始めた職人さんを、寛大に行きましょうと何度かなだめた。これの回避策は、使う工具をあらかじめ揃えさせておいて、これを自分ら専用に工事期間中確保し続けるしかない。幸いにも今回は日本から沢山工具が送られていたので、この確保が比較的容易だった。

 日本から送られた機械を確認し、工具も機械も揃っていることがわかる。ここまで来れば、もう終わったようなものである。何故なら、いつもやっていることをやり遂げるだけだから。私も図面を見せてもらい、機械の把握が出来ているし、現地の工員に手伝わせながら仕事を進める事はイランで経験済みだ。こっちの方が英語が通じる分よりやり易い。

 本日の作業を終えて現場の事務所に戻ると、現場の責任者がにこにこしていた。予想以上の工事の進みだそうだ。私もそう思った。もっと問題が起きても不思議ではない。この分だと、予想以上に早く仕事が終わり、残った期間退屈してしまうんじゃないかと心配になった。しかし、日本の職人さんだけは、慣れた人達でやればこの半分の時間でやれるよ、とのたまった。

 7月22日、曇り一時雨。ここの仕事の難点は、とにかく暑いということ。だいたい工場の外が蒸し暑い、さらに機械が設置される工場内は熱加工などを行う工場なので、さらに蒸し暑い。汗だくの仕事になる。とにかく水を沢山持って行って、水分を補給しながら仕事をしないと動けなくなってしまう。その分、仕事を終えて、シャワーを浴びた後のビールは格別だ。

 ゲストハウスではビールだけは飲み放題になっている。いつも冷蔵庫にビールが冷えている。スペイン人の技術者は昼もビールを飲んでいた。ナイジェリア産のビールだったが、結構美味しかった。この他、ゲストハウスで良かったのは、洗濯物を朝出しておくと、その日のうちに洗濯してアイロンまでかけておいてくれること。

 これを評して日本の職人さんは、こんないい待遇の所はないと絶賛だった。あげ膳すえ膳、三食ビール、加えて洗濯付き。外にでられないから、お金を使うこともない。大抵日本の出張には出張旅費がつくが、夕食にビールでも飲もうものならこれでまかなえることはない。大満足の様子だ。

 ただ彼の部屋のトイレには便座がなかった。しかし日本人は我慢強い。不平を漏らさない。私の方が見かねて工場責任者に掛け合った。その前にもゲストハウスの職員に言ったのだが埒があかなかった。工場責任者に掛け合ったら、すぐに便座がやってきた。この日本人の職人さんの我慢強さと対照的なのが、かのスイス人技術者だ。不平を漏らさない日のない彼の部屋のトイレに、もし便座がなかったら、もう大騒ぎだろう。地球がひっくり返るくらいの大騒ぎだと思う。

 今日も順調に仕事が進み、あとはネスレ側で作る約束の部品を残すのみとなった。ところがこれがやってこない。今日の午後2時にやって来ると言っていたのに、それが4時になり、ついにはやって来なかった。これはもしかすると問題になるな、と思った。やはりナイジェリアサイドに何かをやらすとやばい。

 7月23日、曇り一時雨。ようやく部品がやってくると、なんと間違ったものを作って来ていた。予感が的中する。それとともに、順調に進んでいた工事が一気に停滞し、予想通りの展開になってきた。こうした現場仕事には何かトラブルがつきものだ。これがないと、かえって不安にさえなる。おかげで精神的に余裕が出来た。来るものはもうやって来た。

 7月24日、晴れのち曇り。予想より早く部品がやって来たので設置工事を完了させ、現地スタッフのメンテナンス教育を行う。午後より試運転を始める。

 7月25日、曇り一時雨。現場責任者との最終打合せの後、工場全体の工事責任者との最終打合せを行って、今回の仕事を終える。問題もあったけれど、順調に仕事が進んだため、みんな喜んでいた。来年2月にも工事が予定されており、是非また通訳をお願いしたいと言われた。この通訳の仕事は結構いいお金になるので、心が動く。

 7月26日、曇り。この日は空港で日本の職人さんを見送った後に、自分も帰国の途につく。空港でのチェックは、入国時より出国時の方がより厳しかった。まず空港ビルに入るのにパスポートチェックを受けた。次にチェックイン・カウンター前でパスポートチェック、そして荷物検査があり、スーツケースを開けて荷物検査を受けた。その後にチェックイン、当然パスポートチェック。出国ゲートに行くための入り口でもパスポートチェックがあり、次に手荷物検査ゲートでパスポートチェック、当然出国審査でパスポートチェック、その後税関カードを渡し、搭乗ゲート前でパスポートチェック。最後に搭乗時にパスポートチェックだ。合計8回のパスポートチェックがあった。この時、2回女性の係官にはしつこく絡まれた。スイスの滞在許可書も見せろなどと言われた。ナイジェリアの女性には私が不審な男に見えるらしい。アルカイダじゃないっちゅうの。

 ナイジェリアでの出来事を思い返すと複雑な気持ちになる。確かに自分の仕事としては順調だったし、いいお金になった。しかし、ナイジェリア人の平均月収は2万円くらいだそうだ。私の報酬は1日にその月収の何倍ものものだった。報酬がよくなければナイジェリアには行く気も起きなかったのだが、こうした格差は何だろうか。

 ネスレのナイジェリア人スタッフがいうには、一般家庭では3日間のうちに6時間しか電気が来ないそうで、みんな小型の自家発電機を持っているそうだ。固定電話の様なインフラ整備の必要なものは発達せず、代わりに携帯電話が普及している。携帯電話の契約を取るために、電話機自体がタダになるのは日本でもよくあることだが、ナイジェリアでは小型発電機がついてくる。

 ナイジェリアは世界6位の産油国なのだが、債務超過国になっている。多くの人々が貧困の中にいる。ほんの一握りの人間が裕福なのだろう。そうした支配層の人々の汚職と不正蓄財が指摘されている。内戦もあって国を疲弊させている。

 ネスレで働いているナイジェリア人は幸せ組だろう。みんな携帯電話を持っていた。エンジニアとして働く現地スタッフともなれば、きっと大学出のエリートではないかと思う。その分プライドも高かった様だ。あるスタッフはマネージャーに現場仕事をするために働きに来たんじゃない、などと噛みついていた。恐らくは設計部門等に行きたいのだろう。私の目には、彼らは少し鼻が高過ぎる。現場を知らないエンジニアにいい仕事が出来るはずがない。

 人間がたった一人で出来る事はたかが知れている。私がいくらナイジェリアの貧しい人々に同情しても、大した足しにはならない。しかしこれからも、自分の見たこと、聞いたことは忘れないでいようと思う。もしかしたら、彼らは彼らなりに幸せなのかも知れないが、ナイジェリアに内戦がなくなり、市民のためのインフラ整備が進み、平和で豊かな暮らしが訪れる事を祈りたい。

2009/09/06

ローザンヌのレストランで手打ちそば、うどんのイベントをやります

手打ち麺の「しらかわ」はつつがなく閉店いたしました。
長らくのご愛顧ありがとうございました。
10月に帰国予定で、既に温泉と新鮮な魚介類が目の前にちらついております。笑

その前に、もう一度、手打ち麺のイベントがありますので、お知らせ致します。

場所はローザンヌで、来週の火曜日から始まります。
手打ちの実演もして欲しいとのことで、多分午後7時頃、手打ちの実演をすると思います。

今は寿司レストランの所ですが、新規に手巻き寿司と麺のレストランを開店したいらしく、麺の方のコーディネートを任されそうな気配で、そのイニシャルテストの為のイベントです。

今回は、トライアル・イベントということで、お店の側も採算無視でサービスするとの事です。

メニューは、もり、かけ、とり、天ぷら、カレー南、鴨南などを揃える予定です。
手打ちそば、うどんにも関わらず、もり、かけは13フラン、一番高い鴨南でも19フランと、私ですらやったことのない低価格でのご提供となります。


Restaurant: Sushi Zen (Lausanne Palace Hotel)
Adress: Grand Chene 7-9, Lausanne
Telephone: 021 331 31 31
Period : 8-12/9, 15-19/9
Opening hours : * Tuesday to Thursday: 12.00-14.00 / 19.00-22.00
* Friday : 12.00-14.00 / 19.00-23.45
* Saturday : 12.00-15.00 / 19.00-23.45

2009/09/04

格子造りの木造家屋

幾何学的にきっちりとしているのが、どことなく杓子定規的なイギリス風。木造テューダー様式の典型的な家屋といった感じ。

煉瓦造りの家屋

時代が下って建てられた近代の家並み。しかし端正で趣がある。石畳の道がまた雰囲気を出している。

2009/09/02

私のスイス、ヨーロッパ(109)

(109)
7月20日、晴れ時々曇り
 昨日は枕が汗臭くてよく眠れなかった。私にあてがわれた部屋はまぁ合格点ではあるけれど、電気を取るコンセントのプレートが壁からはがれていたり、冷房のリモコン電池が切れかかっていたり、床の掃除がいい加減だったり、細かい所に難点があった。

 ゲストハウスの周囲には植樹がされていて、椰子の木や名前のわからない熱帯性の樹木があった。地面には顔がオレンジ色の大きなトカゲが歩いており、ここがアフリカだと感じさせる。朝でももう温かかった。ネスレには外国人技術者が沢山いて、主にはヨーロッパから来ていた。そのためゲストハウスの区画には何棟もヴィラや宿泊所があって、さらに建設中だった。私が滞在した宿泊所のすぐ近くに滞在者用のテニスコートとプールがあった。

 朝食はウエスタンスタイルのものだった。ご飯もリクエストすれば作ってくれるとの事だった。しかし、アフリカの米は大粒で細長く、ぼそぼそしたもので、とても朝食に食べたくなるものではなかった。私の朝食はトーストにベーコンエッグが定番になった。

 朝食を取っていると次々に技術者がやって来た。スペイン人、フランス人、スイス人、ウクライナ人、パキスタン人と多彩だった。今日は日曜日なので、この人達は休みだった。私には日本から来るメーカーの技術者を空港に迎えに行く仕事があった。休みの技術者達は、今日はゴルフに行くと言っていた。

 技術者達の移動には専用の送迎車に警察官が付く。よって安全は確保されており、食べ物は贅沢とは言えないがきちんと提供してくれる、だからここでの生活は悪くはない、とスペイン人の技術者が話してくれた。しかしネスレは外国人が一人で外出することを望んでいない。特に夜は危ない。自分たちは一種特別待遇の囚人みたいなものだな、と話してくれた。因みに、収入はいいのか?と聞くと、倍以上にはなるということだった。何年かここで仕事をすれば、一財産になる、であれば我慢できると言うことだろう。

 ジュネーブから来たというスイス人技術者は、いつも宿泊所で働いているまかない職員に不満だった。サービスが良くない、料理が下手だ、部屋の破損箇所がいつまでたっても直らない・・・永遠に続く。彼はここの古参らしく、10年以上前のここの様子も知っていた。その頃はまだゲストハウスもなく、彼はガーナにネスレから家を作ってもらったのだそうだ。平日はシェルターみたいな所で寝泊まりし、週末ガーナでゆったり過ごしたらしい。彼に言わせると、ガーナは安全でいい所らしい。ナイジェリアとは雲泥の差があるとか。因みに彼にはスイスに住む本妻と、ガーナに住むガーナ人妻がいるんだそうだ。流石フランス語圏のスイス人、やることがラテンっぽい。

 午前9時、約束したとおりゲストハウスの前で待っていると、いつまでたっても車がやってこない。すると、まかないの人が出てきて、工場の玄関の守衛所まで行けという。もう約束のことは忘れているだろうとの事。昨日のカオスを見ているので、素直に納得する。守衛所まで行くと運良く今日のドライバーに出会った。案の定昨日の約束は伝わっていなかった。

 車に乗って待っていろとの事だったので、車に乗っているとガソリンを入れ始めた。ガソリンは工場内の給油所でいれる。ものすごく警備が厳しく、警備員立ち会いの下、警備員が鍵を開けて給油し、給油量などを詳細に記録していた。これも昨日のカオスを見ているのでさもありなんと納得。ついでに昨日の入国審査の厳重さも、意味不明ながらありそうな事だと納得。

 ガソリンを入れていよいよ出発と思ったら、構内を走行中に作業用のトラクターがいきなり横から飛び出してきて衝突。後部右側のドアがべっこりへこんでしまった。これではもう使えない。このトラクターいきなりバックを始めて送迎車に突っ込んできた。後部座席にいた私をめがけてだ。トラクターの運転手は後ろも見ずにバックしたのだから恐ろしい。構内でスピードが出ていないから怪我もなかったが、冷や汗ものだ。この騒ぎで出発が30分遅れる。

 朝方の道路事情は昨晩より良かった。空港まで2時間でついた。運転手がいうには渋滞がなければ1時間20分で空港までつくという。ネスレの工場はラゴスの外れにあって、空港から約80キロ程南西に離れた所にある。

 昨晩のカオス渋滞の余波が所々に見える。道路に故障して動かなくなった車がぽつん、ぽつんと乗り捨ててある。中には事故でへしゃげた車があった。もっともそれとは別に今おきたばかりの事故も見た。トラクターの運転手といい、ナイジェリア式の運転をすれば事故が起きても不思議ではない。

 車の運転にもびっくりするが、バイクの運転にはさらに驚く。バイクの運転には交通ルールがないようだ。ヘルメットをしない、というのは優しい方で、3人乗り、4人乗りは当たり前。家族5人乗りのバイクも見た。旦那が運転して、奥さんが一番後ろ、その間に3人の子供が乗っていた。もちろんヘルメットなどしていない。命知らずの家族である。

 バイクはどこを走ってもいいかの如く、次から次へと道路を逆走してくる。みんなそれに驚いていない。確かに道路は渋滞しており、交差点も少ないから、ちょっとした距離なら逆走したいのもわかる。しかし、右側通行なら右側を走る、というのは道路通行の原則ではあるまいか。これも崩れるなら、そもそも交通ルールがないに等しい。

 朝のナイジェリアの景色は、夜より悲惨に見えた。夜はよく見えない分だけ神秘さがある。ランプの明かりなども、ある意味レトロでロマンチックだった。しかし陽の光は容赦なく現実を映し出す。道ばたに並ぶぼろぼろの掘っ立て小屋、窓ガラスの入っていない家、どれもがすすけた家々。道路脇の至る所に穴が開いていて、水溜まりが出来ている。

 村々の中は舗装されていない。大きな荷物を頭に乗せて歩く人々。舗装されていない道はでこぼこで、大きな水溜まりが所々に出来ている。山と積まれ放置された得体の知れないゴミ。動くかどうかわからないようなボロボロの車。当然水洗トイレなどないだろう。衛生状態が懸念される。マラリアどころか、いかなる伝染病が発生しても不思議ではない。

 道ばたで寝起きしている人々がいる。多分家も仕事もないのだろう。ここには貧困があって、その貧困から抜け出せない絶望がある。いや、もしかしたらそれは悲観的過ぎるのかも知れない。熱帯に位置するナイジェリアは常夏の国だ。家がなくても凍え死にはしない。太陽の恵みが一年中、何かしらの実りを与えてくれる。生活の質という観点を全く違う角度で見た場合、彼らは実は満足していて、それなりに幸せなのかも知れない。

 何れしても、この光景を2時間も見ていると疲れてきて、重い気分になってしまう。私がもしここの現実に投げ出されたならば、貧困と絶望以外感じないだろう。何が豊かさなのだろう、そしてどうしたらこの人達が豊かに暮らせるようになるのだろうか、などと考えていると、道路の先で人が転がり道ばたに倒れた。状況からして車と衝突したようだ。

 ところがどの車も止まろうとしない。そうこうしているうちに、私の乗っている車も倒れてうずくまっている人の横を通り過ぎて行く。びっくりして声も出ない。私たちの運転手は何の動揺もなく、まるで当たり前の様な雰囲気でいる。第一この車には警察官が乗っているではないか、何もしなくていいのだろうか・・・。そう、ここでは轢かれた方が悪いのだ。

端正な縞模様の木造家屋

よく見ると、1階より2階の方が広い。庇兼用なのだろうか。

木造家屋

大陸の木組みの家と少し木の組み方が違う。こちらは一直線タイプ