2010/04/30

モンテト峠(標高1461m)

シャトラールを越え、フランス入っている。ここからシャモニーまでは下り。

トリエン

この村はトリエン谷に佇んでいる。トリエン谷を通るトリエン川はやがてローヌ川に注がれる。トリエンの次の村がシャトラールで、ここがフランス国境の村

みんなで渡れば怖くない

友人の日記で教えてもらった記事
「みんなで渡れば怖くない」

http://www.the-journal.jp/contents/kokkai/2010/04/post_217.html

この田中良紹という人は、テレビ局の報道記者としての長いキャリアがあるらしい。

印象に残った部分

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1.この国の新聞とテレビは既成の見方に強く引きずられて新たな事態に対応する能力が足りない。
2.複数で分業して情報収集するためにピントが外れる。それをみんなで議論するうちこれまで通りの無難な考えに落ち着く。・・・・・しかし間違えた社がこの時反省したり、間違えた理由を分析をした形跡はない。
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なかなか手厳しい批判だけれど、氏はこうした背景で、日本のマスコミは一斉に誤報を流し、平気でいられるのだと分析する。しかも悪い事にそれが社会問題にならない、なぜならマスコミは自身の欠陥を取り上げないから。メディアが国家単位の誤報を一斉に流しても、屁とも思っちゃいない、というのは相当深刻な社会問題のはずだが・・・。

氏は記事の中で次のように指摘している。

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1.この国のメディアは何の根拠もなく政治家や要人の話を信用する。
2.ジャーナリズムとか言って偉ぶっているため、所詮は裏取引の道具に利用されている事を知らない。
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メディアは政治家や官僚の裏取引の道具に利用されている。しかし、ほとんどそれに無自覚という訳だ。そもそもがそういう風に育て上げられてしまったのかも知れない。

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 思えば大本営発表を垂れ流した新聞が、戦後何の反省もなく一転してGHQの日本洗脳の手先となった。戦前は「軍国主義」を、戦後は「民主主義」を国民に刷り込んだが、いずれも支配者にとって都合の良い「軍国主義」と「民主主義」である。それを全社で一斉に流すから嘘も本当のように見える。しかし昨年の政権交代以来、国民はメディアの嘘に気がつき始めた。
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国民がメディアの嘘に気がつき始めた、というのは希望的観測かも知れない。いつの時代にも一定数は気付いている。しかし、大多数は踊らされてしまうのだから。さらには踊らされていると知りつつも「みんなで渡る限りは、怖くない(・・・あるいは渡らないと後が怖い)」という風潮もあるのではないだろうか。

2010/04/29

アメリカは日本の政権交代を望んでいるようです

 http://sankenbunritsu.vox.com/library/post/100428.html#comment-6a00c2252bfc438fdb0123de24eb4a860c

アメリカの都合のいいように、鳩山政権は動いていないと思われているようです。日本のマスコミによる鳩山政権批判も、アメリカの追い風を受けてますます強まっていくでしょうね。

http://www.fpif.org/articles/allied_regime_change

どうせ、アメリカから圧力を受けるなら、いっそのこと、問題の米軍基地など自国領内に移転してもらいたいと思います。個人的にはアメリカは大好きな国ですが、身近に米軍基地を受け入れたいと思う日本人は皆無でしょう。自分の町に、米軍基地が来たら・・・。

フォルクラツ峠(標高1527m)

シャモニーまでは二つの峠を越えなければならない。これはその1つ目

ローヌ谷の反対側
 写真右の稜線の反対側にローヌ谷が通っている

開けてはいけないものを開けてしまった・・・。涙

Reserve des Producteurs 2003, AC Vouvray, La Vallee Coquette
ロワールの甘口ワインの名所、VouvrayのReserveもの。ロワールには10年以上もつという素晴らしい甘口ワインがあるということで、わざわざVouvrayに行って買って来たもの。今回の引っ越し騒動で、飲めるものは飲んでしまえと、色々と開けているうちの一本に紛れ込んでいた。10年以上寝かせて飲むつもりだった・・・・。大涙
7年経った今でも色合いが緑がかっている。まだまだフルーティで、瑞々しさを保っている。樽熟成による苦さが後味に響くところが、もう少し熟成するともっと良くなると言いたげだった。無論、デザートなどと合わせれば今でも十分にいけるのだが、惜しい事をしてしまった。

2010/04/28

ちょっと前だけど、紅葉する木々

モンブランに行くためにマルティニィからシャモニーに向う。途中でみた紅葉。
秋は日が短くなって、郷愁を誘うけれど、春はうきうきしてくる。新緑と花々。どれも色とりどりで秋に負けない程美しい。私はどちらかというと、郷愁の秋の方が好きだけど。あと、収穫祭で飲める。笑
4月も終盤、もう夜9時ころまで明るさが残る様になった。夕食後、夕日を見に散歩するのが楽しい。昨日は近くの丘の上で、絵を描いている人を見かけた。

2010/04/27

ドイツ、シュヴァルツヴァルド、黒い森とドナウの源泉

 ストラスブールからはフランスを出てドイツに入る。ローヌ川を挟んだアルザス対岸のこのドイツ地域はシュヴァーベンと呼ばれる地域で、背後にシュバルツヴァルド(黒い森)と呼ばれる山間部が控えている。ここの人達の祖先はスイスのドイツ語圏に住んでいる人達と同じゲルマンのスエービ族だ。そんな関係か、ここの人達も生真面目で勤勉なんだそうだ。ドイツの北の方の人からは、つまらない田舎者と見られる事があるとか。スイス人も他のヨーロッパの国から同じ様な評価をされている。

 フライブルグはそんなシュバルツヴァルドにあるシュヴァーベンの町。因みにこの町は、スイスの首都ベルンを作ったツェーリンゲン公が作っている。ツェーリンゲン公の本拠地はドイツのバーデンにあった。ドイツのフライブルグには大聖堂があって、この大聖堂の塔がヨーロッパで一番美しい塔と言われているのだそうだ。どんなもんか見てみたくて、普段は通過しているフライブルグに寄ってみる。絶対に期待出来ない事はわかっていたが、さらに悪いことに塔が改装工事中だった。しかし、改装工事が終わってもやはり期待出来そうもない様な塔であることは確かだった。

 因みに、スイスにもツェーリング公が作った、同じ名前のフライブルグという町がある。ベルンから電車で30分くらいの所だ。こちらはフリブール州の州都になっていて、町の美しさなどから比較しても、スイスのフライブルグの方に軍配が上がる。

 フライブルグからはドナウエシンゲンに向かった。このシュバルツヴァルドのまっただ中にある小さな町には、ヨーロッパで2番目に長い川とされるドナウ川2850キロの源泉がある。一番長いのはロシアを流れるヴォルガ川3690キロだが、ロシアはヨーロッパではないとの偏狭な考えから立脚すれば、ヨーロッパで一番長い川となる。

 ドナウエシンゲンにはドナウの源泉(Donauquelle)と呼ばれる泉がある。ここが源泉とされているが、地理学的には源泉はフルトヴァンゲンという町の郊外にある「ブレクの泉」とされている。いずれにしてもドナウ川という名称はドナウエシンゲンから始まっている。今回は一般に正統とされるDonauquelleを見た。ドナウ川の長さもここが起点らしい。しかし、この泉、流れ出たとたん地下に潜ってしまう。こ、これで川が始まると言えるのだろうか・・・・・。

 あまり深いことは考えず、とりあえず源泉を見た事で満足し、ベルンへの帰路についた。この時何も考えず、またドイツのフライブルグに戻り、そこからバーゼルを経由して帰ったのだが、あとで地図をよく見たら、ドナウエシンゲンからスイスのシャフハウゼンはもう目と鼻の先。こちらを経由した方が全然早かった。

 シュバルツヴァルドは広大な山間部で、ハリモミの森がどこまでも続いている。この濃い緑が時には黒く映るので、シュバルツヴァルドと呼ばれる。全く森だけではなく、谷がそこかしこに走っていて、その谷には畑や牧草地が広がっている。山はそんなに高くはないが、自然と調和したシュバルツヴァルドの地域は、バケーションの滞在には適所と思えた。

 バーゼルを経由し、ベルンに戻ったのは午後8時前だった。本日の走行距離782キロ。この5日間の旅行で3842キロを走る。単純に5で割って平均を出すと1日768キロ。ガソリン代だけで501フランを使った。日本円にして約4万5千円。行程中のほとんどで高速を利用したが、その高速代は6800円程度だった。高速代のほとんどがフランスだった。

 今回の旅行では、何といってもアウシュビッツが圧巻だったが、旧東欧の町々を巡ることが出来たのは本当に良かった。ポーランドの平原、どこまでも続く黄金色の小麦畑は印象的だった。自然に恵まれているこれらの国は、今後順調に発展するだろうと思う。ポーランドも、チェコも幾多の困難があった国だが、これからは自由で平和に、そしてそれぞれの国民が幸せになる様な形で繁栄して行ってもらいたい。個人的にはチェコが気に入った。ビールもうまいし、ワインも良さそうだ。しかも物価が安い。またチェコに行きたいと思う。次回は電車で行って、ビール三昧、ワイン三昧だ。
 

フランス、ストラスブール、ロマ人と多文化共生の陰

 8月8日、曇り時々雨。今日は最終日。ランスからストラスブール、フライブルグ、ドナウエシンゲン、バーゼルと通ってベルンに戻る予定。なお、バーゼルは既にスイスの都市で、何回も訪れているので単に通過しただけ。6時半に起床、朝方市内を散策し、8時半にランスを出発した。

 ランスからストラスブールまでは高速ですいすい走る。ただし、フランスの高速道路は有料で、今回のフランスでの高速代は41ユーロ(約5900円)にのぼった。高速区間は630キロ。それでも日本の高速料金よりは半額程度安いのだろうけれど、スイス、ドイツ、チェコと高速料金が無料(ただしスイスは年間40フランのチケットが必要)だったので、とても高く感じる。

 ストラスブールはアルザス地方の中心都市。このアルザス地方はフランス領になったり、ドイツ領になったり行ったり来たりしている。しかし住んでいる人はアルザス人を自負していて、ドイツ語に似たアルザス語を話す。アルザスには現在欧州議会が置かれている。

 町の中心部には古い町並みが残されていて、アルザス独特の木組みの家が沢山残されている。この木組みの家はアルザスからロワールにかけてよく見ることが出来るが、ドイツにも多い。スイスにも特に東側で多い。どうやらドイツ東南部を中心として広がっているようだ。

 今回は旧市街をちょっと散歩した。雰囲気はなかなかいい。町の中心にある大聖堂は偉容を保ち、ストラスブールのシンボルとなっている。ライン川に続く水路が発達していて、観光船が行き来している。しかし、水路脇を歩き、川沿いの古い家並みを見学するのもまた素晴らしい。お昼時だったので、沢山の人がレストランのテラスで食事をしていた。ワイングラスには、地元のアルザスワインが注がれている。

 ストラスブールの外れで信号待ちしていたら、ジプシーの女性がいきなり車のフロントウィンドーを洗い始めた。断る暇がなかった。無論無視も出来るのだが、あとで車を蹴られたりするのも嫌なので、チップに2ユーロ渡す。1ユーロもやれば十分なのだろうが、2ユーロコインしかなかったのだ。涙 こういうジプシーをフランスやイタリア、スペインでは見るのだが、ドイツ、スイス、オーストリア等ではみかけない。今回行ったチェコやポーランドでもみかけなかった。

 ストラスブールは歴史的に国が動くなど辛い経験を持ち、独自の文化を保ち続けるアルザス人の首都であることから、多文化共生を標榜するEUの議会が設置されている。その様な町だから、ジプシーを見ることもあるのだろう。しかし全然覚悟が出来ていなかった。

 ジプシーという呼称には差別的な意味があるということで、現在は「ロマ」と呼ばれる事が多い。ロマ人はナチス虐殺の対象にもなっており、こうした事もあって中欧ではロマ人をあまりみかけないのかも知れない。彼らは北インドから渡ってきた放浪民族の末裔なんだそうだ。しかし放浪先の様々な民族と交わっており、日本人にとってはもはやロマ人を外見で識別するなど無理な話だ。

 彼らは移動型の生活習慣をもっているので、定住型の文化を持つヨーロッパ人と様々な摩擦を起こした。これがヨーロッパにおけるロマ人差別の原因となった。彼らの文化においては、放浪が当たり前で、それこそが人生の楽しみなのだろうけれど、居を構え職業訓練を積んで一人前となるヨーロッパの社会経済体制には馴染まない。

 彼らが職業としていた金属加工、手工芸、旅芸人などの機会も徐々に狭められて来ていて、ロマ人の生活環境は厳しいという。彼らが放浪を続ける限り、西洋型近代国家の仕組みは彼らを弾き出す。彼らは居住国家で定住し、文化統合されることを強いられる。それを拒むロマ人は今後も苦難が続くだろう。なんとなく哀れでもある。あの2ユーロは詐欺の様に取られたものではなく、神に捧げたものと思った方がいい。

2010/04/25

緑の妖精

Die Gruene Fee 訳すと「緑の妖精」
アブサンチョコレート、ヴァル・ド・トラヴェール産のアブサン入りのチョコです。中の餡の部分にアブサンが入っている。ちょっと刺激があってなかなかいけた。

FDDの終焉

http://www.yomiuri.co.jp/net/news/20100424-OYT8T00321.htm

いよいよ3.5インチフロッピーもおしまい。 一つの時代が終わった観がある。といっても、自分も長い間フロッピーディスクをいじっていないけれど。そういえば、PDなんかがまだどこかで埃を被っている。

2010/04/24

グラールスの夕暮れ

アルプスが赤く染まり、明日も変わらない今日が終わる。

最後の魔女の眠る州

そこがグラールスでもある。ヨーロッパ最後の魔女裁判で処刑されたアンナ・ゲルディの博物館がある。未だランツゲマインデという直接民主制集会を持ち、グラールスの時計はとてもゆっくり進んでいるようだ。

2010/04/23

ネーフェルス

遠くにネーフェルスが見える。この町で、グラールスの州民がハプスブルグの大軍と戦い、奇跡の勝利を得た。グラールスはシュビーツ州民の援助を受け、モルガルテンの戦いを再現するような形で勝利を得ている。スイス建国当時の出来事。グラールスは決してスイスの中心ではないけれど、建国当時から深く関わっている。

グラールスの谷

ヴァーレン湖を過ぎると、そこはグラールス州。スイス人さえ訪れる事がないという、スイスの田舎中の田舎。

クインテンに向う船

夕暮れ時ともなると、かなりわびしいものがある。

クインテンワイン

というのが生産されている。一応ザンクト・ガレン州のワインとなる。スイスでも入手困難なワインの一つ。そこに、船で行かないと買えないワイン。

2010/04/21

クインテンの集落

ローマの支配時代からあった由緒正しい集落だそうだ。しかしクインテンというのは5番地という意味だそうで、名前さえつけてもらえなかった集落でもあるようだ。この集落へ通じる一般道はなく、交通手段は船だけ。陸の孤島。

ヴァーレン湖

峠を一気におりて、チューリッヒに向う途中にある湖。ザンクト・ガレン州に位置している。

2010/04/20

峠のオスピス

といいたいところだが、夏場営業の民宿兼ドライブインといったほうが正確。

アルブーラ峠(標高2315m)

この峠道にはグラウビュンデン州の州都クールからサンモリッツを結ぶ鉄道が通っている。しかし峠直下にトンネルを通しているため、峠までは登らない。

2010/04/17

アルブーラ峠へのアクセス

この峠もローマ時代からあったそうだ。でも、メインは西隣にあるユーリア峠だった。

サンモリッツ湖

落ち着いた雰囲気を見せる。清楚ながら上品な着こなしの人たちが多い。ハイソというのだろうか・・・

2010/04/16

サンモリッツ

エンガディン地方の中心的リゾート地。ここのホテルはスイスで1番高いということで有名。セレブの町。

ベルリナ峰を取り巻く氷河群

しかし、一般に言われる温暖化で、氷河は後退を続けているそうで、1年に30mの規模で氷河が後退しているのだそうだ

2010/04/15

ベルニナ峰(4049m)はどこ?

色々と調べたら、写真右にある山塊の一番高く見えているところのようだ。写真左のほうだと思っていたので、びっくり。

モルテラッチ氷河・縦

4000m近い山々から氷河が形成されて、流れ落ちる様は壮大そのもの

社説:論調観測ギョーザと死刑 にじみ出た「中国」観とは の感想

おもろかった。やっぱ産経やね。
http://mainichi.jp/select/opinion/editorial/news/20100411k0000m070099000c.html

中国は世界でダントツに死刑の多い国なんだそうで、まぁ、あれだけ人口が多いと、殺したいんだろうねぇ・・・。

2010/04/14

モルテラッチ氷河

モルテラッチ峰(標高3751m)から流れ落ちるアルプスの中でも最大級の氷河。氷河はベルニナ峰からも注がれている

ベルニナ山塊

奥に4000m級の山々が続いている

2010/04/13

ベルニナ線を登山電車が走る

ベルニナ線はアプト軌道を一切持たず、通常の軌道だけとなっている。通常軌道だけの鉄道としては、ヨーロッパで一番高い所を走る登山電車となっている。ベルニナ線はこの鉄道沿線の景観と共に2008年世界遺産に指定された。

分水嶺は実は人工的

ラーゴビアンコは人造湖で、ポスキアーヴォ谷側にダムが出来ている。自然の分水嶺は、もっと峠側にあったのだろう。1911年にこの人工的な分水嶺が完成したとのこと。

2010/04/12

カンブレナ峰と氷河

峠から正面にどでんと構えるカンブレナ峰は標高3604m。この奥に続々ともっと高いベルニナ山塊の山々が控えている

ラーゴ・ビアンコからベルニナ峠を望む

オスピスの建物などが斜面にへばりついている。

2010/04/11

色の違う湖

隣接しているのに色が違うという面白い湖。白っぽい方がラーゴ・ビアンコ(白湖)、群青の方がレイ・ナイル(黒湖)。この湖の境界が分水嶺で、ビアンコの方はイタリア側に落ちて、やがてポー川となってアドリア海に注がれる。ナイルの方はスイス側に落ちてやがてドナウ川となって黒海に注がれる。

ベルニナの山塊

氷河が湖に落ちて来ている。

2010/04/09

ベルニナ峠に落ち込む氷河

ベルニナ峠からは、ベルニナ山塊から落ち込む氷河の景観が素晴らしい

ベルニナ峠

標高2330m。ティラノの標高が436mだから、およそ1900mの標高差がある。無論ここにもオスピスがある

2010/04/08

ほぼ峠近くから見たティラノ側

ベルニナ急行を使ってティラノ側を下りると、見事にポスキアーヴォ谷とポスキアーヴォ湖の眺望を楽しむ事が出来るが、車道からはカンプ谷山塊を拝する事になる。

ベルニナ峠下の東側には深いカンプ谷がある

これはカンプ谷の山塊で、とがった山はセナ峰と思われる、標高3075m

2010/04/07

ベルニナ峠の山塊が見えてきた

一番高い所がベルニナ峰で、標高4049m。

高山の紅葉

10月に訪れたので、紅葉していた。といっても、赤や黄色というわけにはいかない。森林限界付近の紅葉は、針葉樹林だけに、紅葉というよりは黄葉。

2010/04/06

国境の山々

3000m級。山の向こうはイタリア、ヴァルテリーナ

ポスキアーヴォ

ティラノからポスキアーヴォの谷を登って行く。下の方がティラノ。この谷だけが突出してスイス領となっていて、両側はイタリアに囲まれている。スイス領だけど、人々はイタリア語を使っている。

2010/04/04

フランス、ランス、シャンパーニュ、シャンパンを求めて

 8月7日、晴れ。6時半起床、7時半にプルゼニを出発。初めはオーストリアのザルツブルグに行く計画でいたが、予定を変更し、フランスのランスに向かうことにした。チェコの高速料金が全線無料だったので、すこし遠くまで走れると思ったのと、もう中欧の都市は食傷気味になっていた。ランスはこの秋に訪れてみたい所だったが、丁度横移動をすればランスに辿り着ける事がわかったので、予定変更をした。

 ランスのお楽しみは、世界的に有名なシャンパンだ。が、シャンパンを求めてはるばるチェコからドイツを横断し、ランスに向かうというのはかなり過激だ。それに相当のワイン好きでなければ出来る所業ではない。ランスはパリまであと少しという所にある。今日は初日に次ぐ長いドライブの日となる。

 まずプルゼニの高速道路入り口近くで給油し、ドイツへ向けて出発した。プルゼニを過ぎて70キロも走ると、ドイツ国境だ。国境に検問はないので、無停車で通過する。ここからフランス国境の町ザールブリュッケンまでは507キロ。このドイツ東端より西端までを休みなくひたすら走る。ザールブリュッケンの国境にも検問はないので、ここも無停車で通過する。こうして無停車でドイツを横断してしまった。さらにガソリンが尽きるまで走り、走行距離601キロを5時間で無停車走破した。これだけ連続して走り続けたのは距離も時間も自己最高記録だ。初日の1462キロ走破に続き、自己最高記録の更新となった。多分今後この記録を破ることはないだろう。

 ランスの南にエペルネという町がある。この町は、ワイン好きには有名だが、一般にはそう知られていない。ここには名だたるシャンパンメーカーが軒を連ねている、シャンパンの町だ。なんと市民一人当たりの収入がフランスで一番高い。シャンパンの経済的威力とはすごい。このエペルネに到着したのは午後4時過ぎだった。

 途中エペルネ近くのAy(アイ)という村による。アイ産のシャンパンは昔から高く評価されており、アイはシャンパンの心臓部と言われている。ここはシャンパンのブドウ畑のすぐ下に位置している。名だたるシャンパンメーカーがこの地域にブドウ畑を所有し、収穫したブドウをこの村で醸造している。醸造はこの様にブドウ畑の近くに設けた醸造所で行い、シャンパン特有の瓶内二次発酵の際にエペルネの地下貯蔵施設に保管するのだ。

 シャンパンのブドウ畑は広々としており、アルザスを連想させたが、アルザスほど広大ではなかった。シャンパンだからといって、特別なものはなく、ごく一般的なワイン用のぶどうが実っていた。小粒で皮の厚いやつだ。別に、そこから泡が立っている訳でもない。当たり前だが・・・。しかし、ブドウ畑から、札束が湯気の如く立ち上る幻覚を見た。

 エペルネの各メーカーが掘った地下貯蔵施設を仮に一直線につなげると、総全長が100キロにも及ぶそうだ。シャンパンがどれだけ利益を生んでいるかというのは、各メーカーの建物を見ると一目瞭然にわかる。何せみんなお城みたいなでかくて豪勢な建物ばかりなのだ。

 エペルネのあるメーカーの地下貯蔵施設を見学させてもらったのだが、ブルゴーニュのボーヌのネゴシアンが持っているような地下貯蔵施設とそんな変わりはなかった。違いは、二次発酵させた瓶を徐々に立てていって瓶の首に酵母の澱を集める木製の板が置いてあるくらいだ。最近ではこれも機械化されていて、木製の板を使うこともないらしい。この板を使って澱を集める作業には熟練が要って、その昔は熟練工が活躍したのだそうだが、今や機械に押されてしまっているとのこと。

 見学したメーカーのシャンパンも試飲したのだが、酸化したものもあって評価出来なかった。お店の人にそれを言ったが、黙りこくってしまって何もしなかった。残念な対応だった。ということで、このメーカーの名前は非公開。頭文字だけ、A.P.、ツーリスト・インフォから歩いて2−3分の所。

 私が買いたかったシャンパンはボランジェ(Bollinger)というメーカーのもので、今品質で三つ星を得ている、シャンパンのトップクラスのメーカー。もともとはドイツ人だそうで、品質を求め、Ayの村に本拠地を固め、今の評価を得るに至っている。ボランジェを訪ねたがメーカーでは小売りしておらず、小売店のリストを渡してくれた。そのリストにあるお店でボランジェのスペシャル・キュヴェを買う。32ユーロだった。日本円にして4300円。

 エペルネからはシャンパン・ルートを伝ってランスに向かう。シャンパーニュの丘を縦断してエペルネとランスを結ぶルートだが、この丘から見下ろすブドウ畑の風景が素晴らしい。ランスに近づくと、遠くにカテドラルの偉容が見えてくる。

 ランスはシャンパンのもう一つの中心地で、こちらにも有名シャンパンメーカーがひしめいている。またランスはフランスの歴史と深く関わる町なので、フランス観光を兼ねてシャンパン工場も見学したいとなれば、ランスを訪れるのがいい。エペルネは周囲のブドウ畑の見学とセットで、シャンパンを深く知りたい時にお勧め。

 ランスはフランスの初代王クロヴィス(481年即位)がカトリックの洗礼を498年に受けた所。この洗礼によって、クロヴィスはゲルマン諸族の王で初めてカトリック教会の認める王となった。これがローマとの結びつきを深めるきっかけとなり、後に同じフランク族カロリング家のカール大帝が西ローマ帝国の皇帝に戴冠される下地となる。フランス王はこの故事にちなみ歴代の王がランスで戴冠している。ランスでの戴冠は正統なフランス王であることの証明だった。

 フランス歴代の王が戴冠したのが、ランスのノートルダム大聖堂だった。流石に歴代の王の戴冠場所だけあって荘厳だ。またあちらこちらにちりばめられたステンドグラスがとても美しい。ちなみに初代フランス王クロヴィスは508年にパリを都と定めた。パリはフランス初代王からの首都だ。そして死後パリの近くのサン=ドニ大聖堂に葬られた。

 クロヴィスに洗礼をした司教サン・レミは今現在ランスのサン・レミ大聖堂に安置されている。ランスのノートルダム大聖堂とサン・レミ大聖堂は共に世界遺産になっている。ランスを訪問する際は、これらの歴史的な建造物を見物するのが定番だ。ランスの町並みも歴史を感じさせてくれる。

 ランスではノートルダム大聖堂の目の前にあるホテルに宿を取った。その名もラ・カテドラル(La Cathedrale 大聖堂)。ランスの繁華街にも近く、大変便のいいところだった。値段は朝食別で54ユーロ(約8千円弱)と今回のホテルの中では一番高かったが、場所代といったところか。本日の走行距離898キロ。夜、ランスの町は賑わっていた。

ティラノに広がるヴァルテリーナ・ワインの故郷

ヴァルテリーナ・ワインはイタリアの銘醸ワインの一つ。ここはまた、東スイスのグラウビュンデン州に通じるベルリナ峠の玄関でもある。因みにティラノはロンバルディア州ソンドリオ県に位置する。
18世紀後半まで、ヴァルテリーナ地方はスイスのグラウビュンデンに属していたとのこと。ナポレオンがヴァルテリーナをスイスから外したとか。彼がいなかったら、このボルドーワインに匹敵するとも言われるヴァルテリーナはスイスワインだったかも。惜しい(何がじゃ?)。

ボルミオ

ボルミオ郡の中心の町。ステルヴィオからは標高にして1500mも下ったところ。それでも標高1200に位置している。ここはまた人の住むヴァルテリーナ地方の始まり。

2010/04/02

イタリアアルプス

その美しさを知る事が出来たのも、ステルヴィオ峠の旅の収穫

3000m級の山塊

この山脈の反対側はスイス。ここから見ると、なんと遠く、そして隔たれていることか。

2010/04/01

ホワイト・イースター

朝の6時半はまだ暗い。夏時間になってから、7時すぎなくては明るくならなくなってしまった。午前7時前は夜明け前の起床となる。その代わり、夜は午後8時くらいまで明るい。夕食後、まだ明るいので散歩が出来るようになった。

外を見たら雪が降っている。よくみたら一面真っ白になっている。これは夜が明けたら白銀の世界だ。冬に逆戻りといったところ。これはエープリール・フールの冗談ではなく、本当の話。エープリール・フールであって欲しい事だが・・・。

今週末はイースター、キリスト教の復活祭なので今日は土曜日扱いで、明日から休み。ちょっと長い週末となる。ホワイト・クリスマスならぬ、ホワイト・イースターになってしまった。スイスの4月上旬は手ごわい。

ジュネーブのNというところから手紙が来た

ジュネーブのNというところから手紙が来た。
ここはどうやら弁護士事務所らしい。ところが、フランス語で書かれているので、さっぱりわからない。推測するに、C社に関することみたいだが、私とS社に関する事と書いてある。さっぱり意味不明である。

ただ、このS社とは契約関係があるので、次の様に英語で私に手紙を送る様に要望するつもりだけれど、忙しくていつその手紙を送れるかはわからない。

私の送ろうとする手紙は以下の通り、

Thank you for your letter, but as I told you before, I can not read French. You have sent me a letter in French again, so I couldn't understand at all. You must send me a letter in English.

There are four reasons for my request.

1. I can not understand French. I can not communicate with you in French at all.

2. As your letter, you are the attorney at law. That means, you are not working for a swiss authority. You are just working for a personal matter. I have no responsibility to read a personal letter written in French. Therefore, I have no responsibility for misunderstanding between us either.

3. I have a license agreement with "S". This license is written in English. So official language between "S" and I is English. If you want to communicate with me about the license agreement, you must communicate with me in English.

4. I'm requiring you to send a letter in English for our communication. English is the second language for us. So English communication is fair even for us. You must send a letter in English to me for any purpose. By the way, Japanese is another possibility for my letter.

日本語訳

お手紙ありがとうございます。しかし以前からお伝えした通り、私はフランス語が読めません。あなたはお手紙を再びフランス語で送られましたので、私は全く理解できませんでした。

私のこの要望には4つの理由があります。

1.私はフランス語を理解できない事。私はあなたとフランス語では全くコミュニケーション出来ません。

2.あなたのお手紙には、あなたは弁護士であるとあります。ということは、あなたはスイスの公的機関で働いているわけではなく、個人的な事柄に関して働いています。私はフランス語で書かれた個人的な手紙を読むことについてなんら責任はありません。従って、私たちの行き違いについても責任がありません。

3.私はS社とライセンス契約があります。この契約は英語で書かれています。ですので、S社と私の間の公的言語は英語です。もし、あなたがこの契約について私と連絡を取りたいのであれば、英語で私と連絡を取らなければなりません。

4.私は私たちの意思疎通の為に英語の手紙を要求しています。英語は私たちにとって第二外国語です。ですので、英語による意思疎通は私たちにとって公平です。あなたはどんな目的でも、私への手紙には英語で送らなければなりません。ちなみに、私への手紙については日本語という選択肢があります。


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まぁ、これも私の備忘録の為です。しかし、これは公的言語とは何かに関わり、国際的なトラブルの一種かも知れず、ブログのネタくらいにはなるかな、と思いました。