2010/10/16

黒部・立山の写真3

1枚目:帳の降りた立山、山小屋の明かりと、土星(写真左側の光の点)が浮かび上がる。
2枚目:森林限界を超えた山肌の紅葉。
3枚目:一ノ越から反対側の黒部方面を望む
4枚目:黒部川源流の山海
5枚目:立山連峰と剣岳(写真中央)

息子と行った黒部・立山3

雄山からの下山途中、すれ違う登山者の中には一ノ越へ行く途中で追い越した人達も何人かいた。「もう下山ですか」と話しかけられる。「もう少しで頂上ですよ、ばんばって下さい」と声をかける。下山者には心のゆとりがある。しかし、下山途中の方が怪我が多い。気は抜けない。ちょっと足を滑らせると、ガレの小石がすごい勢いで落ちて行く。下から登って来る人にも危ない。足場を確保しながら慎重に下りて行く。

また平らな所に出ると、団体の登山客が小休止していた。横をすれ違うと挨拶がない。あれっと思ったら、中国語が聞こえてきた。中国人の団体登山客だったのだ。これにはびっくり。最近日本に沢山中国人観光客が来ていると聞いていたけれど、まさか立山登山まで団体でやってくるとは思ってもいなかった。因みに、黒部ダムや、室堂にも中国人観光客が沢山いた。立山ホテルのレストランでは、団体客のほとんどが中国人だった。

観光立国日本、というのは少し実現されているのだろうか。雄山からの下山途中では、中国人に続いて沢山の外国人登山者とすれ違った。すれ違った登山者の三分の一は外国人だったと思う。西洋人に「ハロー」と声をかけると、大抵「こんにちは」と返事が来た。日本の山では「こんにちは」だ。韓国人も結構いた。ただ、韓国人は黙っていれば日本人と区別がつかない。中国人は微妙に服装の違いから区別が出来る。でも、中にはファッション雑誌から抜き出て来た様な人もいた。相当なお金持ちの人なんだろう。

雄山からの下りは、写真を撮ったりでゆっくり下りたつもりだったが、11時過ぎには室堂に到着していた。立山連峰は、また雲に隠されてしまっていた。私たちがすれ違った登山客にはちょっと可哀想。室堂の立山ホテルで昼食を取った。こういう所で間違いのない食べ物と言えばカレーだ。かなりの数の団体客のお弁当が用意されていた。これはみんな中国人団体向けのものだった。レストラン中で中国語が飛び交う。一瞬中国にいる気分になった。

今日の宿泊は宇奈月温泉。室堂からバスや電車で乗り継いで4時間ほどかかる。午後2時ごろ室堂を出れば夕方に着けるので、昼食後少し時間があった。そこで地獄谷を歩くことにした。ここは火山性ガスが激しく噴出する所。相当危ないらしく、立札になるべく立ち止まらないで下さいと書いてあった。この地獄谷は結構広く、端から端まで歩くと30分くらいかかる。日本の中で一番大きい地獄谷ではないかと思った。

立山は信仰の山、昔は女人禁制の神聖な山だった。その山裾に位置する地獄谷は、なんでも日本全国から亡者が集められると信じられていたそうだ。地獄谷から見る立山連峰も素晴らしかった。今日は大変運のいい日で、私たちが眺望のいい所に行くと、何故か雲が切れて立山連峰が雄々しき姿を現してくれた。

地獄谷を過ぎて天狗平に行く途中で谷合いから雲が再び出始める。天狗平は霧に包まれてしまった。霧の中を歩いても仕方がないので、もう一度登る様な形で室堂に戻った。雲の上の室堂だけが、侵食してくる霧から辛うじて浮かんでいた。立山連峰が最後の挨拶をしてくれた。

バスに乗って立山市内に下りて行くと、天狗平で雲の中に入り、やがて雨になった。もうたいした景色も拝めないのでバスの中でひと眠りした。立山駅に着く頃、雨が止んだ。しかしどんよりした曇り空だった。雲の上から、雲の下に降りたのだった。宇奈月に向かう途中の電車で、魚津辺りを走る頃、日本海がちらっと見えた。標高3003mから標高0mにまで下りてきたんだなぁ、と実感した。

黒部・立山の写真2

1枚目:夕日が沈み、赤く染まった山肌が下方から暗くなっていく
2枚目:夕方の地獄谷、谷の近くまで紅葉が迫っている
3枚目:夕日が雲の地平に沈む
4枚目:青い帳の降り始めた立山とみくりが池
5枚目:雄山山頂小屋と室堂小屋の明かりが浮かび上がる

2010/10/15

黒部・立山の写真1

1枚目:霧に包まれた黒部湖。大雨だった。
2枚目:黒部湖と黒部ダム。
3枚目:特別天然記念物のライチョウに出会う。
4枚目:夕日に照らされた立山連峰
5枚目:夕日に照らされた室堂

息子と行った黒部・立山2

10月5日
朝方、立山連峰には雲がかかっていた。果たして眺望が期待できるのか不安だった。天気予報は曇り、午後から雨になるとの事だった。しかし、天気予報は標高500mに位置する立山市内のもので、標高3000m級の立山連峰に完全に当てはまるものでもなかった。現に昨日の夕刻、立山市内は曇りでも、ここ室堂は雲の上に出て、晴れていた。

もしかしたら、一時雲が切れるかもしれない。その期待にかけて雄山に登る事にした。黒部・立山といえば人生のうちで何回も来られる所ではない。それに一ノ越には雲がかかっておらず、一ノ越の眺望だけは確実に拝めそうだった。一ノ越からだと、昨日は拝めなかった立山の東側の眺望を拝める。それだけでも価値のある登山だ。

みくりが池温泉を出て、立山室堂山荘に向かう、途中には血の池などというおどろおどろしい名前の池がある。室堂山荘は日本で一番古い山小屋らしいのだが、建物は新しかった。ここから一ノ越まで、整備された登山道を登る。途中何人か登山者を追い抜いた。私より高齢の方々だった。流石に立山、早朝から登山者が多かった。「若い人は早いねー」などと言われたりしたが、そう言われてもちょっと微妙な気分になってしまう。私は、まごうことなき中年おやじだし・・・。

一ノ越は標高2700m。雄山3003mと浄土山2831mの間にある鞍部で、山小屋がある。およそ1時間で到達した。みくりが池温泉は標高2400mの所なので、300mを登った事になる。序の口だ。それに道も良く、難なくついてしまった。眺望も良かった。10月初めなのに、2700m地点はもう寒かった。厚手のシャツを着ていたが、冷たい風は、シャツを突き通して肌を刺した。
一ノ越から雄山山頂は見えない。しかし、山の上にあった雲が切れかかっていた。これはチャンスだ。今から上がれば、ほんの一時でも眺望が期待できると思った。そこで小休止を切り上げて、すぐに雄山へのアプローチに取りかかった。それに体が冷めないうちに登りにつきたかった。雄山へのアプローチは、胸を突く岩場だった。標高2000mを超える高地では、息が上がる。高山病にも気をつけなければならない。

一ノ越から雄山山頂の中間地点に平らになる場所があった。そこからは雄山山頂の山小屋が見える。あと一歩だ。そして、この平からの眺望が素晴らしかった。雲は既に切れていた。眼下に室堂を見下ろし、そして立山連峰、浄土山、北アルプスの山々を展望出来た。この平から上が、また胸を突く岩場の直登だった。

息は上がるけれど確実に標高を稼ぐ。山頂に近付くにつれ、風の冷たさが肌をさす。厚手のシャツ1枚では寒い。汗をかく程の登山なのに、体が冷えて来る。山肌には霜がへばりついていた。手が凍る。じっと耐え、ひたすら登る。そして、ついに雄山山頂の鳥居が見えた。標高3003mの山頂だ。寒さで歩調が早まったのか、一ノ越から45分くらいで登り切る事が出来た。思い返せばあっけなかった。しかし、安全側に予定を組むのが登山の鉄則。今まで山で恐い思いを何回もして来ているし、息子を連れての山登りでは、安全に安全を見なければ、あとで女房から雷が落ちる・・・。

雄山山頂からの眺望がまた絶景だった。室堂を始め、立山市の平野部まで見渡せ、立山連峰の主峰の一つ、剣岳が近くに迫っていた。残念ながら黒部ダム方向は雲に覆われてしまっていたが、眼下の峰から湧き起る雲海はまた別の、神々しい様な美しさを放っていた。雄山の山小屋越しには立山カールが見えた。ここは日本にあった氷河の跡だと言う。雄山は立山信仰の山で、頂上には鳥居と祠がある。かつては女人禁制だったそうだ。

頂上は寒かった。厚手のシャツの上に、セーター、そしてレインコートを着込む。早く体を動かさないと、寒さで凍えそうだった。ひとしきり写真撮影をして下山を始めた。山小屋でちょっと暖まりたいと思っていたのだが、この日山小屋は朝に店仕舞をしてしまっていた。朝に店仕舞とは、一体いつ営業するのだろう。

私たちは朝の7時に温泉小屋を出て、9時前に立山頂上についていた。この時間が一番雲が少なく眺望が良かった様だ。大変運が良かった。下山を始めると、多くの雄山登山者とすれ違った。どうやら私たちは早い出発の組だった様だ。私たちより先に頂上にいたのは4人のパーティだけだったし、雄山の登りの途中で下山者にすれ違う事もなかった。私たちが下りる頃から、山に少しずつ雲が出始めていた。

2010/10/14

息子と行った黒部・立山1

10月4日
初日、長野県側の扇沢から黒部に入った。当日は残念ながら雨だった。雨でも黒部ダムの放水は迫力があった。スイスではそこら中で走っているトロリーバスだが、日本では黒部と立山の2路線しかトロリーバスはないのだそうだ。しかも、日本の法律ではこれは電車扱いなのだとか。無論電車に乗った気は全然しない。

黒部ダムは標高1470mの所にあって、日本で一番標高の高いダムだ。関西電力が作ったそうだ。山奥の奥にあるダムで、これを作るためにトンネルが掘られ、これが今の黒部・立山ルートの礎になった。今や日本の名だたる観光名所だが、元はダム建設の工事のために作られたトンネルや道路だったのだ。

トンネルを掘る途中で、大量の地下水が出てきて、工事は難攻したそうだ。地下水に悩まされた区間はほんの数十メートルなのに、ここを突破するのに約1年もかかった。日本の山々は地下水が豊富ゆえに、こうした難所も生まれる。しかし、その豊富な水が電力を生み、黒部ダムの存在意義があるのだから、我慢のしどころなのだろう。

黒部ダムから地下に造られたケーブルカー(地下だけど、登っていく)、ロープウェーと乗り継ぐと、大観峰という見晴らしのいい所に着く。ここは標高2316m。しかし、天候は雨。周囲は霧に包まれて真っ白だった。大観峰は立山連邦の東側に位置し、ここからまたトンネルを走るトロリーバスに乗ると、立山の真下を突っ切って西側に出る。西側に出た所は室堂と言って、日本屈指の豪雪地帯。5月上旬に冬季閉鎖が解けると、その高原道路の脇に8m前後の雪の壁が出来る。標高2450m。黒部ダムからは約1000mも高い所に位置している。

天候は雨、こうなると黒部観光も見るべき所がない。ケーブルカーやロープウェー、トロリーバスと淡々と乗り継ぎ、正午には室堂に到着してしまった。立山蕎麦で昼食を取って、早めに宿に到着する事にした。宿は室堂から徒歩で15分程の所にあるみくりが池温泉。この温泉は日本で一番高い所にある温泉として知られている。宿泊施設は温泉山小屋といった感じだった。登山気分満点にしてくれる宿だった。温泉は近くに地獄谷があるだけあって、硫黄の匂いのぷんぷんする、乳白色の泉質だった。

今回の立山は山岳地帯を歩くのが目的だった。スイスと一味違った日本のアルプスを楽しむつもりもあって、完全な山装備で臨んでいた。よって雨にはびくともしないのだが、宿に着いた頃には全身ずぶぬれの疲れた登山者の様になっていた。でも、この最悪な天候の中で唯一救われた事は、特別天然記念物に指定されているライチョウに出会えた事。宿には午後2時前には着いてしまったが、雨のせいもあってか、問題なくチェックイン出来た。

早速温泉に入って冷えた体を温めた。早朝の出発だった事もあり、風呂に入った後、眠くなってしまった。外はざぁざぁ振りの雨。暫く寝ていたら、外から声聞こえてきた。夕方近くになっていた。気だるい体を起して、窓の外を見ると、なんと雨が上がり晴れていたのだ。早速支度をして外に出てみると、何と雲ひとつない青空が広がっていた。

雲の上の晴天だった。標高の高いこの室堂周辺と立山連峰に青空が広がっているのだった。室堂から見下ろす下界には雲が広がっていた。その雲の地平線に沈みかけた夕日が立山連峰を赤く染めて行った。それは大変素晴らしい光景だった。その赤は徐々に山を駆け上がり、やがて山々に帳が下りた。

室堂から上はもう森林がなく、低い草木が山肌にへばりついていた。この低い草木が紅葉の見頃を迎えていた。通常は9月中旬から下旬が紅葉の見頃なのだそうだが、猛暑の続いた今年は10月上旬が見頃になっていた。夜には満天の星空が広がった。天の川が夜空にくっきりと浮かび上がった。

翌日、立山連峰の雄山に登る事にした。雄山は室堂から一望できる標高3003mの山。室堂からは一ノ越という稜線の鞍部に登り、そこから岩場を直登して到達する。室堂からの標高差は約600mで、天気が良ければ5時間程で往復出来る。雄山からの眺望はとても素晴らしく、室堂まで来たら、是非挑戦したい山だ。

2010/10/09

今回の旅、黒部、立山、宇奈月、富山、白川郷、高山、白骨、乗鞍高原

今回の旅はスイスから来た息子を連れての旅で、メインは黒部、立山、飛騨高山でした。
黒部ダムを見て立山に入り、みくりが池温泉泊。翌日立山・御山に登り、宇奈月温泉泊。三日目、富山の製薬会社を訪問し、白川郷、高山と見て、新穂高温泉泊。四日目、上高地を歩き、白骨温泉泊。五日目、乗鞍高原を散歩し、木祖の漆器を見て、伊那の蕎麦を喰い、ずっと走って、三島で鰻を喰い、真鶴到着。四泊五日の旅でした。
鹿教湯の紹介と並行して、この旅行の紹介もしていこうと思います。

初日、長野県側の扇沢から黒部に入りました。当日は残念ながら雨でした。雨でも黒部ダムの放水は迫力がありました。スイスではそこら中で走っているトロリーバスですが、日本では黒部と立山の2路線しかトロリーバスはないのだそうです。しかも、日本の法律ではこれは電車扱いなのだとか。電車に乗った気は全然しません。笑

鹿教湯の風景、小川、小路

蛍が見られるという小川
今蛍はいずこ。川の底で、深い、深い、眠り。長い、長い、夢の中。
鹿教湯温泉街からお堂を見る
人々が宿で疲れを癒す頃、お堂が金色に輝き始める。

2010/10/07

立山連邦 雄山 3003m

3000m級の山は、神々の住む御山ですぅ。感動しました。

2010/10/06

鹿教湯の神社その2

鹿教湯の神社の境内
小さなお堂があって、そこから本堂に行くには沢を渡る。その沢にも橋が架けられている。
鹿教湯温泉街から神社に渡る橋
橋の袂から。橋もお社の一つなんだろう。