2010/03/23

のりさんの、私のスイス、ヨーロッパ(114)

 8月6日、晴れ。5時半起床、朝方ブルノの町を散策。8時半にプラハへ向けて出発。ブルノはかつてモラビア地方が王国であったころ首都だった。そんな事もあり、大きな大聖堂やお城がある。市庁舎前のドミニカン広場では朝市が立っていた。町の外れには生物の遺伝学に大きく貢献したメンデルの住んだ修道院がある。彼は生物学者であり、聖職者であった。モラビア王国は一時、ポーランド、ハンガリーへ勢力を拡大したが、後にボヘミアに取り込まれて行った。

 ボヘミアはオーストリア、ポーランド、ハンガリーに勢力を拡大し、その首都プラハは中欧の3大都市の一つとまでになる。しかし、ハプスブルグ家との争いに敗れ、徐々に所領を失い、紆余曲折の後、ハプスブルグ家の所領となってしまう。ボヘミア王はスラブ人であったため、ドイツ人貴族達から支持されず、最終的にドイツ人貴族に支配されることになった。チェコ人はドイツ人支配の下で農奴的な存在に貶められた。

 ボヘミア、モラビアの地域からなるチェコはスラブ系民族の国なのだが、そのチェコを長らく支配したのはドイツ人だった。そのためチェコはドイツの影響が色濃い。今でもドイツ語の名前が銀行や商店などにつけられている。チェコを最後に支配したドイツ人は、ヒトラーだ。第二次大戦後はソ連の衛星国となり、東欧に組み込まれたが、冷戦崩壊と共に民主化が進み、現在はEU加盟国となっている。チェコは東欧の国から中欧の国に分類される事になった。ポーランドも同時期にEU加盟をしていて、両国は同じくシェンゲン協定にも加盟している。よって、ドイツ、オーストリー、チェコ、ポーランドの行き来の際には全くパスポートのチェックはない。

 プラハには10時半に到着した。ブルノからは約200キロの距離。旧市街の駐車場は高いので、ちょっと離れた所のパーキングメータを利用する。駅前の駐車場が1時間50コルナで、町外れのパーキングメータは1時間15コルナ。3倍以上の開きがある。

 プラハはチェコの首都のみならず、中欧を代表する都市だ。プラハを賞賛して「ヨーロッパの魔法の都」、「黄金の町」、「北のローマ」などと称されている。旧東欧ということで、あまり期待はしていなかったのだが、その美しさにびっくりした。プラハはヨーロッパ屈指の美しさを持つ町だと思った。

 旧市街広場にある旧市庁舎塔には天文時計というのがあって、からくり時計になっている。毎時ちょっきりになると、動き始めるので、その時刻になるとすごい人だかりになる。で、私も観客の一人となったのだが・・・、そりゃ当時はすごかったに違いないのだが・・・、単に人形が移動するくらいのもので、正直期待はずれだった。こういからくり時計がヨーロッパの都市にはいくつかあって、ベルンにもあるのだが、今まで見た全てが期待はずれのものだった。初めて見たからくり時計が有楽町のマリオン前だったのがいけなかったらしい。あれが基準になってしまった。

 カレル橋というプラハ最古の橋を渡ると、プラハ城に通じる。プラハ城はプラハの看板名所だ。プラハ城の門には衛兵が立っている。城の一部が大統領府にもなっているのだそうだ。プラハ城の偉容を整えたのはカレル4世の治世の時、14世紀だ。カレル橋もカレル4世が作らせている。彼はプラハの町を発展させ、自身が神聖ローマ皇帝まで登り詰めた。チェコ人に敬愛されている王だ。しかし、彼はルクセンブルク家、すなわちドイツ貴族の出自を持っている。

 ルクセンブルク家は神聖ローマ帝国の有力諸侯であり、政略結婚によってボヘミアの王位を得ていた。ヨーロッパ貴族は政略結婚によってこの様な王位継承を行っており、色々なところで血のつながりを持っている。因みに、この貴族間の政略結婚で最も成功したのがハプスブルグ家だ。もとは現在のスイスの一角に城を持つ小領主に過ぎなかったのが、後に代々神聖ローマ皇帝を継承する名門貴族にのし上がった。16世紀以降、第一次大戦まで長期にわたりボヘミアを支配したのもハプスブルグ家だ。

 プラハ城を順路に則って見学していくと最後にマーネス橋のほとりに出る。この橋を渡って対岸の左側にはユダヤ人の旧ゲットーが広がっている。ユダヤ人はチェコでも差別されており、この様なゲットーでの生活を強いられた。今でこそ壁はないが、この地域にはユダヤ教の教会であるシナゴーグが多い。中欧には沢山のユダヤ人がいて、この様なユダヤ人地区も多く残されている。中欧を旅すると、ユダヤ人差別という暗い歴史にも触れる事が出来る。

 プラハ市内見学を終えて、次にプルゼ二(Plzen)という町に向かった。ドイツ語だとピルゼン(Pilsen)。この町が有名なのは、ビールのピルスナーの発祥の地だということ。ビール好きなら一度は訪れてみたいところ。何せ日本のビールのほとんどがピルスナー・スタイルだということだから、日本のビールのルーツみたいな所だ。

 プルゼニには異様にでかい教会の大聖堂とヨーロッパ一の規模を誇るシナゴーグがあって、それぞれ名所になっている。といっても町に宗教色は感じられない。チェコの人口の4割は無宗教なんだそうで、これは共産党支配の時の密告制度の影響によるものだという。逆に宗教色が薄い素地があるから、色々な宗教の教会も残存できるのかも知れない。お互いに争うこともないから。

 しかし、私のお目当てはプルゼニのビール工場、プルゼニュスキー・プラズドロイ醸造所。ドイツ名をピルスナー・ウルクヴェル。本家本元のビールメーカーであり、またチェコの有名ブランドでもある。ここの工場にはレストランもあって夜遅くまで営業している。当然、ここに行くしかない。

 共和国広場の教会脇にあるツーリスト・インフォでホテルを紹介してもらったら、なんと無料で紹介してくれた。対応も親切だったし、やはりチェコの田舎町だと、こういう親切に出会えるのだと感心をした。紹介してくれたホテルが4つ星なのだが、値段が799コルナ(約4500円)と星の数に比べると格安。半信半疑ではあったが、そこはビール工場から最も近かったので決定した。名前はアストロイ(Astroy)。4つ星ホテルだけあって、設備は大変良かった。今回の旅行の中で最も質の高いホテルだったが、最も安いホテルだった。

 プラズドロイ醸造所に近づくと、何やらロック・ミュージックが聞こえてきた。今日は無料ライブのある日だったのだ。沢山のチェコ人がやって来ていて、ピルスナー・ビールを飲みながら音楽を楽しんでいた。なにせタダがうれしい。ビールは500mlのジョッキが38コルナだった。1杯200円そこそこの値段である。レストランでこの値段でビールが飲めるというのは夢のようだ。

 今日は天気も良くて、絶好のビール日和だったので、美味しい本家ピルスナー・ビールを飲めて幸せだった。本当は地元の料理と合わせてビールを楽しもうと思っていたのだけれど、音楽を聴きながら2リットルも飲んでしまって、食べたのは地元の赤いジューシーなソーセージだけ。でもこれはビールには良くあった。ま、これも地元料理の一種である。B級グルメだ。

 演奏は休憩を挟んだりして10時過ぎまで続いた。だんだん観客も乗って来たが、観客総立ちまでとは行かなかった。チェコ人、意外に慎ましやかなようだ。本日の走行距離336キロ。プラハからプルゼニまでは113キロくらい。高速は全て無料だった。

 なお後で知ったが、チェコの高速道路は本当は有料で、何日間か有効の高速乗り放題券を郵便局やガソリンスタンドで購入し、そのステッカーをフロントガラスに貼っておかなければならないとの事。数百円のものらしい。スイスに似た方式を取っている。スイスに入る外国からの車は国境でステッカーを買うことが出来るが、チェコにはそういう所を見なかった。かなり緩い感じで、外国からの車は実質無料ではないかと思う。因みに有料ステッカー式の国は、スロヴァキア、ハンガリー、オーストリアなど。

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