2012/03/02

2月末をもってLa Ferme du Desertでの営業を終えました

突然ですが、大変残念なことに2月末をもって、私によるLa Ferme du Desertでの手打ち麺の営業が終りました。La Ferme du Desertとは様々な問題を抱えているため、このブログでおいおい報告していければと思っています。

どのような問題を抱えているかの一例ですが、1月分の給料がまだ支払われていない、といった感じで、問題が山積みになっています。

8 comments:

  1. まずは給料が支払われないという件について、
    http://www.l-gav.ch/index.php?id=1&L=0
    スイスのサービス業協会の様なもので、サービス業関係者が交わす雇用契約について違法なものがあると、それを調査し、然る処置を代行してくれる機関。そんな機関があるのかと驚きもしたが、これに行きつくのにも結構苦労した。

    でも、探せばあるものだ。

    ここに給料未払い問題について相談したところ、相談員の指示に従って雇用者に期限日時を定めた催促の手紙を書留で送り、期限内に支払がなければ次のステップに進むということだった。

    不幸にも期限内に給料は支払われなかったので、その旨を相談員に報告すると、L-GAVに審査請求を書面でしてくれとのことだった。即日審査請求書を送付する。

    これでL-GAVの審査官がLa Ferme du Desertの審査を開始することになる。必要に応じて訴訟なども起こしてくれるとのことだが、私の様な案件ではそこまでいかないだろうとの事。これらに掛かる費用は無料ということなので、いきなり裁判に持ち込むより安心といったところ。

    一度審査が始まると、他の従業員にも同様な問題がないかも審査するとの事で、他の従業員の為にもなったようだ。

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  2. 給料が入らないと、当然懐が寂しくなる。しかも現在のところ、正式に失職する4月以降の収入の道が決まっていない。公権力にお願いして、3月までの給料はまぁ手にすることはできるだろうけれど、いつになるかは未定だし、引っ越しやらこれから起こす裁判やらで目先にちらつく出費は相当なもの。税金もやってくる。

    2011年に申告した収入に関する税金が2012年にやってくるわけで、当然、容赦がない。苦笑

    そんなわけで、少しでも出費を削ろうと先週末ベルンへ帰るのを断念したら、妻から電話がかかってきて、どうしても来いという。

    電話口で仕事がどうたらと言っていたが、つい口が滑ったらしく、もう友達と約束があるから、とのたまった。つまり、もう作ってしまった友達との約束のため外出しなくてはいけないので、その間の子供の面倒を見るためにどうしても帰れとのご命令が下ったわけだ。

    電車代くらい面倒見てやると言われた。(/_;)
    早々と養われモードに突入しつつある・・・。

    でも、先月までは、もうお金ないから早く生活費よこせ~、とやんや言われていたのだが・・・。

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  3. ローザンヌの顛末 序

    (1)
    2010年にS氏の紹介で日本食レストランKを経営しているスイス人のXを紹介された。Xは私の手打ち麺をジュネーブで食べたことがあり、現在計画している別のレストランで私の手打ち麺を売りたいということだった。そしてレストランの場所を探しているということだった。

    ところが2010年の末に私の母が脊椎の陥没骨折をしてしまい入院することになった。母は群馬県の桐生で「志門」という海鮮ともつ料理を提供するお店を経営している。そのお店の事もあって、母は私に日本に帰ってお店を手伝って欲しいという事を言って来た。

    母も高齢になっており、お店も夜しか開店していない。それもきつくなってきている。お店は母と母の彼氏が切り盛りしている。私の両親は私が小さいころに離婚していて、父とは私が物心ついた頃から会っていない。母は彼氏をがんちゃんと呼んでいる。がんちゃんは私と10歳しか離れておらず、父親的存在とは程遠い。がんちゃんもお店を一人でやるのはきついと言っていた。しかも母の看病もある。

    ここは暫く日本に帰るべき、と私は考えた。そこでXにも事情を伝え、私は日本に帰る可能性が高いという事を告げた。彼は事情を理解し、もし日本に帰るのならそれは仕方ないと納得してくれた。

    私としては日本への帰国の準備を進めていたところ、2011年3月11日、東日本大震災が起こった。当日私は地震が起こって間もない頃にその事実をインターネットで知った。すぐに日本の自宅に電話をかけたが、全然つながらなかった。日本の中でも電話がつながらない状態だったのだから、国際電話などなおさらだ。

    その日はインターネットにかじりつきとなった。自分の家族が、親戚が、友達が、日本がどうなってしまっているのか、とても心配だった。東北地方の惨状が次々に報道された。私は福島に8年間住んでいたので、東北地方には友達が、また会社の元同僚が沢山いる。それもとても心配だった。

    津波の破壊的な映像はスイスにいる私にとって現実のものとは思えなかった。まるで映画を見ているようだった。しかし私としては、インターネットでニュースを追うくらいしかできることがなかった。当日夜のテレビニュースでは、大津波の破壊的な映像がスイス中に放映されていた。大画面で改めて見るその映像は、津波というものがどんなに恐ろしく残酷であるか生々しく伝えた。恐らくは、この映像によって世界中の人々が津波の恐ろしさを現実として知っただろう。

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  4. (2)
    幸いにして我が家にはほとんど被害がなかった。一部食器類が落ちて割れたくらいで、地震によるけが等は一切なかった。我が家の本宅は群馬県の桐生ではなく、神奈川県の真鶴にある。母は地震当時真鶴にいた。それも幸いした。真鶴は地震による停電等の被害も受けなかった。

    長期的な日本帰国を前に、一時的にもすぐ日本に帰ることにした。電話では被害をほとんど受けていない事を聞いていたが、実際にどうなのか、これからどうすべきか、日本で母とよく話し合わなければならないと思った。

    しかしすぐには帰れなかった。それは大地震の津波によって福島の原子力発電所が破壊され、メルトダウンを起こしたからだ。スイスから日本に向かう飛行機も全てキャンセルとなった。かつて住んだ福島が原発事故で深刻な放射能汚染を被ってしまった。それは泣きそうになるほどに悲しい事だった。インターネットで見た、発電所建屋の水素爆発の映像は全く信じられないものだった。こんなことが福島で起こっていいのか、全く愕然とした。原子力発電所の爆発など、映画の架空の出来事でしか起こってはいけない類のものだ。その映像を目にしたとき、私は日本が終わった、と思った。

    この福島原子力発電所事故はスイスを含め、ヨーロッパで大変なショックをもたらした。そして事故に関する悲観的な報道が相次いだ。最悪の場合、東日本全域で人が住めなくなる。チェルノブイリの再来。そういった報道だった。幸いにして東日本全域で人が住めなくなることはなかったけれど、チェルノブイリに並ぶ悲惨な原発事故には変わりなかった。発電所は今も危険を抱えている。

    地震から一か月がして、ようやく日本に帰れることになった。4月上旬に日本へ飛んだ。それでも、フライトはキャンセルの可能性があるとチケットを取った旅行会社から言われていた。私が日本に着いたときは、震災時の臨時時刻で列車が運行されており、東北新幹線は福島駅までしか開通していなかった。

    何万人もの人がこの震災で死に、三陸地方には壊滅的な被害をもたらし、さらには放射能汚染が追い打ちをかけた。未曾有の悲劇だ。私はこれを決して忘れてはいけないと思う。東北の人たちが早く震災から立ち直ってもらいたいし、原発依存からは脱却しなければならない。日本の地に立って、そんな思いを強くした。

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  5. (3)
    電話では日本に帰ってきてほしいと言っていた母だが、原発事故がどうなるかわからず、大震災の影響でお店の営業もままならない。今私が日本に帰ってもすることがないかもしれない。あと1年やそこらは様子をみてもいいのではないか、といったことを口にした。そこで日本への長期帰国は先延ばしにして、しばらくはスイスに止まることにした。Xにも大震災で事情が変わり、しばらくはスイスにいることにしたと伝えた。

    5月に入って借りられるお店が見つかったとの連絡が入った。そこで私も開店の準備の為にローザンヌに住むことにした。アパートはXの所有している1Kの部屋を借りた。このアパートは実際にはローザンヌ郊外、リュトリというところに位置している。リュトリはローザンヌから電車で6分程のところだ。

    5月は中旬からお店の掃除などに追われた。倒産したお店の権利を買い取ったとのことで、お店は暫く放置されていたようだ。いろいろなものが散らかっており、キッチンも大変汚れていた。結局開店準備に約1か月を要した。

    お店は6月16日に開店した。お店の内装についてはXが取り仕切っていた。日本的な演出も必要だと申し入れていたが、結局日本的な演出の内装は施されなかった。営業しながら、必要に応じて変えていくというのがXの説明だった。

    このお店「La Ferme du Desert(デゼールの農家)」に関するXと私との取り決めは以下の様だった。
    1.Xは14万フランを投資する。
    2.高川は5万7千フランを投資する
    3.レストランの利益の3分の2はXが受け、3分の1は高川が受ける
    4.Xは3か月ごとにレストランの収支を高川に報告し、利益を分配する。
    5.高川はレストランのコックとして従事する。Xの持つオテレックス社は高川をそのコックとして雇用する。

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  6. (4)
    この取り決めはレストランの開店前から合意されているものだった。しかし本契約を結ぶには、法的な問題を残さないように、法律家に仲介を依頼し、法律的にも有効な契約書が必要だ。Xは後日正式な契約書を作成すると言った。ところが、一向に契約書が出来上がらない。私も心配になったが、私の家族もおかしいと言い出した。

    私は再三に渡って契約書の作成を申し出たが、彼には馬耳東風だった。そこで、私が英文で作った上記5項目を記録した合意書にサインをすることを求めた。その上で、この合意書に基づいた正式な契約書を出してもらうということにした。Xは7月11日、この合意書にサインした。レストランが開店してもう一か月が経とうという頃だった。

    私の5万7千フランの投資は、私が持ち込む機械や調理道具、什器一式による現物投資だった。私は長くスイスでケータリングサービスをやっていたので、レストランを一軒作るくらいの設備は持ち合わせていた。それを丸々この新規レストランに持ち込んだのだ。

    結局最後まで彼は正式な契約書を作らなかった。途中からは、この合意書が正式な契約書だから、もし他に契約書を作りたいなら、私の負担で作成してもらいたいと言って来た。この合意書には、例えばお互いのパートナーシップの解消についてなど盛り込まれていないので、全く正式なものと言える代物ではないのだが、彼はそう言い始めた。

    話の初めには正式な契約書を作ると言っておきながら、再三の請求にも関わらずこれを作らず、最後には私が私の負担で作れと言い出したのだ。この言葉を聞いて私はXに不信を持つに至った。

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  7. (5)
    Xは口頭では色々な指示をしてくる。しかし文書というものを作らない。よって彼の計画がどういうものであるのかを知る者は誰一人としていない。無論、計画があればの話であるが。私にはどうもその計画性というものが彼に感じられない。何故なら、いうことが日によって変わるからだ。私は失念や誤解を防ぐために重要な事は文書に記して必要な人に渡す。ミーティングは議事録として残す。そうしたことが長年に渡ったビジネスマン暮らしで身についている。

    彼は私の提出する文書が面倒なようだった。時々私には文書はいらないと言っていた。しかしそれは私にとって困る事なので、ミーティングがあれば必ず議事録を作った。何故なら、それが後々の証拠となるからだ。裏読みすると、彼はその時々、自分のやりたいことをやりたいがために、他の人から文書で過去の証拠を残されるのが嫌だったとも推測できる。

    Xはレストランの営業実務には携わらない。忙しいときにコーヒーや飲み物を作るくらいだ。大抵は朝からロゼワインを飲んで、友人や常連客と歓談している。彼に言わせると、歓談も仕事のうちだ。彼の持つ人脈がお店を支えるのだ、くらいな話をしていた。夜になると朝から飲み続けるワインの為に相当酔っているように見える。

    彼は当初、食品の仕入れは自分で行うように努力していた。しかし恐らくは飲酒が祟っているのだろう、私からの口頭による購入の依頼はことごとく忘れられた。そこで、紙に書いて購入依頼をするようにしたのだが、その紙も失くしてしまう始末だった。やはり夜には相当泥酔していたのだろう。私は徐々に必要なものは自分自身で購入するようにして行った。しかしそれは、彼には私の「不信」と受け取ったようだ。確かに事実だが。

    彼は自分の思う通りになっていないと大声で怒る。私だけでなく、レストランのスタッフは結構怒鳴り散らされた。無論正当に怒られるのなら受け入れられるが、自分のことは棚に上げて一方的に怒鳴り散らされるのはたまったものではない。結局スタッフは面従腹背することになる。彼の怒鳴り声は右から左へと過ぎていく。怒りやすい彼の性格は、無論生来的なものなのだろうが、慢性的な飲酒習慣もそれを助長させているように見えた。

    彼のレストランで働く日本人は長くても数年、短いと数か月で辞めており、彼を知る周囲の日本人の中には、私に忠告めいたことをする人もいた。たぶん長く勤めることはできないと。しかし、私は自分も投資をしているので、レストランオーナーの一人としてがんばりたいと返答していた。

    しかし、計画性がなく、依頼は忘れ、約束は守らず、アルコール依存で、怒りやすい。私にとってこれら不安材料は大変重苦しいものだった。S氏の紹介があったので、またS氏は、Xは人をだますようなことをする人物ではない、といっていたこともあり、私はある程度の用心を解いていたのだけれど、彼と接し始めて早い時期に、既に最悪の事態を予測するようになっていた。

    何よりも彼は私に「自分を信用しろ」という。何度もその言葉を聞いた。私はそういう人を逆に信用できない。人に信用してもらいたいのなら、言葉ではなく自分の行動でそれを得るものだろう。言葉だけで信用を強制できるものではない。

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  8. 給料の未払いという形で訴訟になり、Hotelex SA に支払い命令が下った。しかしその支払いを履行する前にHotelex SAならびにXavier氏は破産してしまった。
    破産管理事務所に請求金額を登録するも、回収は今のところ不透明。
    この訴訟の後に次の契約違反に関する訴訟を予定していたけれど、破産されてしまったら、ここでお終い。

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