2012/04/11

イースターの怪

日本にいると、イースターという日を特に意識することなくやり過ごすことも多いと思う。西ヨーロッパではそうはいかない。まず、イースター(日本語でいうと復活祭)には休日が3日あり、土曜を挟むと4連休となる。イースターには、聖金曜日と呼ばれる祝日と、主日の日曜日と、月曜休みがある。土曜日は公式な祝日とはならないのだけれど、普通の会社は土曜日は休みだから、実質4連休。

イースターはキリスト教の宗教行事だけれど、キリスト教国であるスイスではこの様に4連休になるので、キリスト教徒でなくても、これは庶民の一大イベントだ。4連休、何をする!

しかし、このイースターは毎年同じ日にちにやってこない。しかも国によってはイースターの日が違うという非常に困った祝日でもある。こういう祝日を移動祝日という。日本では成人の日などの例がそうだ。

キリスト教には2大イベントがあって、一つがクリスマス。これは毎年12月25日と決まっている。クリスマスの日は日本でも知らない人がいないだろう。クラッカー鳴らして、シャンパン開けて、ケーキを食べる日だ。(本当は違うのだが・・・)

もう一つがイースター。クリスマスがキリストの誕生を祝う日で、イースターはキリストが十字架刑で処刑された後、生き返ったのを祝う日だ。キリストが生き返ったのを祝う日が、何故に毎年同じ日ではなくて、しかも国によって違ってしまうのか、実に怪である。
そこで何故にそうなるのかを調べてみた。まず、イースターの日を決める基本的な条件から。現代では、春分の日から最初に迎える満月の日以降の最初の日曜日をイースターとする、とされている。

実にややこしい。だいたい満月が何故に人が生き返った記念日を決めるのに必要なのよ、だ。で、どうして当日が必ず日曜日なのか。日曜日しか生き返っちゃいけないのかっ!?
調べていくと怪が怪を呼んでいく。

ただ、この基本部分は世界各国で共通している。では、国によってイースターが違うという事情は何かというと、その国が国教としているキリスト教の宗派の違いだそうだ。キリスト教は一枚岩ではない。まず西方教会と東方教会で分かれる。西方教会にはカトリック教会とカトリックから分かれた諸々のプロテスタント教会がある。東方教会には、ロシア正教会、ギリシャ正教会など諸々がある。

西方教会はイースターの日にちを決めるにあたって、グレグリオ暦という暦を使う。それに対して東方教会はユリウス暦というのを使う。ユリウス暦はかのシーザーが定めた暦。グレグリオ暦は、のちにこれを改良して定められた暦。使う暦のシステムが違うので、算出方法が同じでも日にちが違ってしまうのだ。因みに、今日本を含め、西洋で一般的に使われている暦がグレグリオ暦。ユリウス暦も太陽暦の一つなので、1年365日の設定は同じなのだが、うるう年の計算がちょっとグレグリオ暦と異なっているため、微妙に日にちがずれるのだそうだ。

こうしてイースターの日が西方と東方で最大4〜5週間ずれる。月の満ち欠けが約30日なので、約30日の幅で期間のずれが生じてしまう。よって、例えばカトリックを国教とする国と、正教会を国教とする国ではイースターの祝日が最大で4〜5週間ずれてしまうのだ。

キリスト教にとって、イースターは一番重要な宗教行事なはずなのだが、しかも教祖様の生き返った日という、超絶的な記念日なはずなのだが、未だ統一された日が決まっていない。怪としかいいようがない。

キリスト教は、腐敗したユダヤ教指導層に反発したイエズス・キリストが新たな神との契約を提唱して始まった宗教なので、根底にはユダヤ教がある。本家ユダヤ教にしてみれば、キリスト教はユダヤ教の異端一派みたいなものだろう。

しかし、ユダヤ教からは異端として迫害されたわけで、その後ローマの庇護を受けて拡大発展したキリスト教は、ユダヤ教とは質的に大きく異なった宗教になった。キリスト教とユダヤ教では確かに同じ神様を信仰しているが、神との契約内容が違っていて、キリスト教はイエズス・キリストが神からもたらした新しい契約に基づいている。

ユダヤ教の古い契約によると、ユダヤ教の神様は結構怖い。あまり不信心な態度でいるとすぐに怒り爆発して、罰せられてしまう。国が滅ぼされて流浪の民と化し、奴隷にまで貶められてしまう。キリスト教の新しい契約によると、神様は相当に優しい。不信心でいても、悔い改めて懺悔すると何でも許してくれる。

土曜日は働いてはいけないとか、鱗のない魚を食べてはいけないとかも言わない。酒(ワイン)は救世主の血だ。毎週飲むことが勧められている。

といってもキリスト教の道徳的な戒めはきつい面もある。神が求める愛は、現実の富とは関係がなく、その人の出来る限りのものが求められる。信者は必要な時であれば、キリストがそうしたように、人の為に自分が犠牲になることも求められる。悔い改めれば許されるが、改めようとしなければ当然に許されない。

調べていくうちに、イースターにはこの神との新しい契約の記念という、宗教的な行事に重きが置かれていることがわかってきた。そしてキリスト教のベースとなったユダヤ教の大切な宗教行事、過ぎ越し祭と密接に絡み合っている。

過ぎ越し祭は、ユダヤ民族が奴隷となって暮らしていた在エジプト時代、モーゼの指導のもと神の予言に従って艱難を乗り切ったことを記念して行われる宗教行事。このとき、預言者モーゼは神との旧い契約をもたらした。モーゼの十戒。ユダヤ民族は神との旧い契約によってエジプトから脱出でき、自由となった。これを記念する過ぎ越し祭では、羊が生贄にされる。

キリストはイスラエルで捕まって十字架刑に処せられてしまうのだけれど、これがこの過ぎ越し祭の初日だった。キリストはイスラエルに行けば捕まって殺されてしまうことがわかっていたのに、過ぎ越し祭が宗教的に重要な意味を持ち、イスラエルに巡礼に行くべき日であることから、死を覚悟の上でイスラエルに行った。

キリストはユダヤ教の指導層に捕まって、濡れ衣を着せられて、即日に処刑されてしまう。それは新しい宗教が生まれるための生贄でもあった。キリストのもたらす神との新しい契約によって、多くの人が救われるための犠牲として、キリストの命が捧げられた。

これは過ぎ越し祭がユダヤ教にとって、「神との契約」に関わるとても大切なものと同じくらいに重要なことであり、そして過ぎ越し祭で羊が生贄にされるのと同じく、キリストが「神との新しい契約」の為に生贄になったことが重なる。過ぎ越し祭が神との旧い契約の象徴であれば、キリストの受難は新しい契約の象徴だ。

キリストは十字架刑に処せられて死に、そしてその後3日目に復活をする。キリストは復活した姿を皆に見せた後に、天に昇って永久に神の右に坐している、ということになっている。こうして神との新しい契約が人々の救いの為に完成させられた。

ま、信じる人は救われる。

建て前的には、キリスト教国であれば、国を挙げてこれを信じているわけではある。

この過ぎ越し祭というのが、ユダヤ暦に従って決められている。ユダヤ暦というのは太陰暦の一つ。要するに月の満ち欠けを基本として暦が作られている。前述したように、過ぎ越し祭とキリストの受難は大変深い関係があり、イースターは、新しい神との契約による過ぎ越し祭という色合いも強い。そうしたことでイースターは、最初は過ぎ越し祭と同じ日に行われた。のちに過ぎ越し祭以降最初の日曜日がイースターとなった。キリストは金曜日に十字架にかけられ、日曜日に復活した、という曜日設定がどうしても捨てられなかったらしい。

問題は、過ぎ越し祭が太陰暦のユダヤ暦によって決まっているということ。その頃ローマを中心としていた世界は、既に太陽暦を使っていた。イースターの日を決めるのに、太陰暦から太陽暦への変換が必要だった。こうしてすったもんだの末に、「春分の日の後の最初の満月の次の日曜日」がイースターと定まった。6世紀頃の話らしい。

これに600年もかかるか・・・。やはり怪だ。

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