ようやく空港につく。それでも日曜の朝方なので2時間でついた。車は空港の駐車場に入った。空港ビルへ行こうとしたら、ここで待つように言われた。あまりうろうろしたくもないので車の中で待つ事にした。トイレに行きたくなる。トイレはどこかと訪ねると、小の方かと聞かれる。そうだと答えると、ついてこいと言われた。警察官の後ろをついて行くと、駐車場の後ろの野原に行く。おもむろに立ち止まって、ここで大丈夫だという。警察官に立ち小便を勧められた。思わず笑うと、警察官も笑って、少し離れた所で用を足し始めた。警察官と一緒に立ち小便なら、それが空港の駐車場内でもこわくはあるまい。
待つ事1時間。日本人の技術者がやって来た。メーカーの熟練した職人さんだ。久しぶりの日本人との会話となった。彼はえらい長旅で疲れたと言っていた。ほとんど1日中飛行機に乗っていたそうだ。関空からドバイ経由でラゴスに入った。関空からドバイまでが12時間で、ドバイからラゴスが7時間くらいだったそうだ。因みにロンドンからは6時間半でつく。岡山弁のある人と聞いていたが、関東の出の私には、関西方面の方言がどこの出かなどさっぱりわからない。
彼も送迎車から見る景色にはびっくりしていた様だ。興味もあったらしくしきりに写真を撮っていた。一応、ナイジェリアでの写真撮影の制限について説明した。また警察官からは車が停車したら、写真を撮らないでくれと言われた。
彼も、これじゃ日本人はナイジェリアで車を運転できないと言った。あまりのすさまじさにあてられていたようだ。戦後の混乱期に、日本でもこんな光景があったのかも知れないねぇ、と続ける。要するに、この状況は日本人の目からは混乱しているわけだ。そこを走り抜ける送迎車。だんだん私たちの運転手が凄腕ドライバーに思えてきた。凄腕ドライバーのおかげで無事ゲストハウスにつく。
職人さんの彼は英語がほとんどわからない。ナイジェリアの公用語は英国植民地であった経緯があって英語だ。そんなわけで私に話しが来て、ナイジェリアで彼の通訳をですることになったのだ。私の仕事は彼が行う機械の設置作業の通訳を行い、無事彼の仕事を完了させることだ。過去にマルセーユでの通訳の仕事で大汗をかいたことがあるが、今回はもともとエンジニアだった私にとっては苦のない仕事だ。しかもイランで同じような仕事をしたことがあるので、勝手がわかっている。かなり気楽でいた。
食事は全て洋食だった。サラダから始まり、メインディッシュ、デザートと続く。果たして彼の口に合うか心配だったが、美味しいと言って食べていたので一安心だ。とりあえず、醤油と和風ドレッシングは持参していた。結構これでしのげるものだ。やはり醤油は大正解で、私も彼も結構醤油で味を調えて食べたりした。
7月21日、曇り。ナイジェリアの7月は雨期で、天気はあまり良くない。日に一度は雨が降る。6月が一番雨の降る月らしく、土砂降りが何日も続くことがあるそうだ。雨期は乾期より気温が低くなるが、湿気があるので蒸し暑くなる。雨がひどいと空港に行くにも大変で7時間もかかったことがあるそうだ。当然、飛行機には乗り遅れる。
現場仕事の当日、工場全体の工事責任者がやってきてスタッフの紹介をしてくれた。その際の注意事項が、どうか短気にならないでということだった。例えば工具一つを取りに行くのに30分かかることがある。それは、収納庫まで片道10分かかり、工具の持ち出しの手続きに10分かかることがあるからだと。こちらでは普段の通りに行かないことも多いから、短気にならず寛大な気持ちでいて欲しいということだった。といっても、工期遅れは許してくれないだろうが・・・。
過去の経験からすると、そんな事を言われても現場に入った職人さんが納得するはずがない。実際にいらいらし始めた職人さんを、寛大に行きましょうと何度かなだめた。これの回避策は、使う工具をあらかじめ揃えさせておいて、これを自分ら専用に工事期間中確保し続けるしかない。幸いにも今回は日本から沢山工具が送られていたので、この確保が比較的容易だった。
日本から送られた機械を確認し、工具も機械も揃っていることがわかる。ここまで来れば、もう終わったようなものである。何故なら、いつもやっていることをやり遂げるだけだから。私も図面を見せてもらい、機械の把握が出来ているし、現地の工員に手伝わせながら仕事を進める事はイランで経験済みだ。こっちの方が英語が通じる分よりやり易い。
本日の作業を終えて現場の事務所に戻ると、現場の責任者がにこにこしていた。予想以上の工事の進みだそうだ。私もそう思った。もっと問題が起きても不思議ではない。この分だと、予想以上に早く仕事が終わり、残った期間退屈してしまうんじゃないかと心配になった。しかし、日本の職人さんだけは、慣れた人達でやればこの半分の時間でやれるよ、とのたまった。
7月22日、曇り一時雨。ここの仕事の難点は、とにかく暑いということ。だいたい工場の外が蒸し暑い、さらに機械が設置される工場内は熱加工などを行う工場なので、さらに蒸し暑い。汗だくの仕事になる。とにかく水を沢山持って行って、水分を補給しながら仕事をしないと動けなくなってしまう。その分、仕事を終えて、シャワーを浴びた後のビールは格別だ。
ゲストハウスではビールだけは飲み放題になっている。いつも冷蔵庫にビールが冷えている。スペイン人の技術者は昼もビールを飲んでいた。ナイジェリア産のビールだったが、結構美味しかった。この他、ゲストハウスで良かったのは、洗濯物を朝出しておくと、その日のうちに洗濯してアイロンまでかけておいてくれること。
これを評して日本の職人さんは、こんないい待遇の所はないと絶賛だった。あげ膳すえ膳、三食ビール、加えて洗濯付き。外にでられないから、お金を使うこともない。大抵日本の出張には出張旅費がつくが、夕食にビールでも飲もうものならこれでまかなえることはない。大満足の様子だ。
ただ彼の部屋のトイレには便座がなかった。しかし日本人は我慢強い。不平を漏らさない。私の方が見かねて工場責任者に掛け合った。その前にもゲストハウスの職員に言ったのだが埒があかなかった。工場責任者に掛け合ったら、すぐに便座がやってきた。この日本人の職人さんの我慢強さと対照的なのが、かのスイス人技術者だ。不平を漏らさない日のない彼の部屋のトイレに、もし便座がなかったら、もう大騒ぎだろう。地球がひっくり返るくらいの大騒ぎだと思う。
今日も順調に仕事が進み、あとはネスレ側で作る約束の部品を残すのみとなった。ところがこれがやってこない。今日の午後2時にやって来ると言っていたのに、それが4時になり、ついにはやって来なかった。これはもしかすると問題になるな、と思った。やはりナイジェリアサイドに何かをやらすとやばい。
7月23日、曇り一時雨。ようやく部品がやってくると、なんと間違ったものを作って来ていた。予感が的中する。それとともに、順調に進んでいた工事が一気に停滞し、予想通りの展開になってきた。こうした現場仕事には何かトラブルがつきものだ。これがないと、かえって不安にさえなる。おかげで精神的に余裕が出来た。来るものはもうやって来た。
7月24日、晴れのち曇り。予想より早く部品がやって来たので設置工事を完了させ、現地スタッフのメンテナンス教育を行う。午後より試運転を始める。
7月25日、曇り一時雨。現場責任者との最終打合せの後、工場全体の工事責任者との最終打合せを行って、今回の仕事を終える。問題もあったけれど、順調に仕事が進んだため、みんな喜んでいた。来年2月にも工事が予定されており、是非また通訳をお願いしたいと言われた。この通訳の仕事は結構いいお金になるので、心が動く。
7月26日、曇り。この日は空港で日本の職人さんを見送った後に、自分も帰国の途につく。空港でのチェックは、入国時より出国時の方がより厳しかった。まず空港ビルに入るのにパスポートチェックを受けた。次にチェックイン・カウンター前でパスポートチェック、そして荷物検査があり、スーツケースを開けて荷物検査を受けた。その後にチェックイン、当然パスポートチェック。出国ゲートに行くための入り口でもパスポートチェックがあり、次に手荷物検査ゲートでパスポートチェック、当然出国審査でパスポートチェック、その後税関カードを渡し、搭乗ゲート前でパスポートチェック。最後に搭乗時にパスポートチェックだ。合計8回のパスポートチェックがあった。この時、2回女性の係官にはしつこく絡まれた。スイスの滞在許可書も見せろなどと言われた。ナイジェリアの女性には私が不審な男に見えるらしい。アルカイダじゃないっちゅうの。
ナイジェリアでの出来事を思い返すと複雑な気持ちになる。確かに自分の仕事としては順調だったし、いいお金になった。しかし、ナイジェリア人の平均月収は2万円くらいだそうだ。私の報酬は1日にその月収の何倍ものものだった。報酬がよくなければナイジェリアには行く気も起きなかったのだが、こうした格差は何だろうか。
ネスレのナイジェリア人スタッフがいうには、一般家庭では3日間のうちに6時間しか電気が来ないそうで、みんな小型の自家発電機を持っているそうだ。固定電話の様なインフラ整備の必要なものは発達せず、代わりに携帯電話が普及している。携帯電話の契約を取るために、電話機自体がタダになるのは日本でもよくあることだが、ナイジェリアでは小型発電機がついてくる。
ナイジェリアは世界6位の産油国なのだが、債務超過国になっている。多くの人々が貧困の中にいる。ほんの一握りの人間が裕福なのだろう。そうした支配層の人々の汚職と不正蓄財が指摘されている。内戦もあって国を疲弊させている。
ネスレで働いているナイジェリア人は幸せ組だろう。みんな携帯電話を持っていた。エンジニアとして働く現地スタッフともなれば、きっと大学出のエリートではないかと思う。その分プライドも高かった様だ。あるスタッフはマネージャーに現場仕事をするために働きに来たんじゃない、などと噛みついていた。恐らくは設計部門等に行きたいのだろう。私の目には、彼らは少し鼻が高過ぎる。現場を知らないエンジニアにいい仕事が出来るはずがない。
人間がたった一人で出来る事はたかが知れている。私がいくらナイジェリアの貧しい人々に同情しても、大した足しにはならない。しかしこれからも、自分の見たこと、聞いたことは忘れないでいようと思う。もしかしたら、彼らは彼らなりに幸せなのかも知れないが、ナイジェリアに内戦がなくなり、市民のためのインフラ整備が進み、平和で豊かな暮らしが訪れる事を祈りたい。
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