2010/10/31
2010/10/30
上高地散策、乗鞍のスイス、白骨温泉火事騒動
安房峠を越えて、上高地に向かった。上高地はマイカー規制があって、バスかタクシーを利用して入らなければならない。4人だったので、タクシーにした。上高地に向かう手前、釜トンネルを出た所に、大正池という池がある。私と息子はここで降りて、上高地まで歩くことにした。
この大正池は今から95年前に、焼岳という火山が噴火し。その溶岩によって梓川がせき止められ、一夜にして出現した池。しかし、今では年々梓川が運ぶ土砂や流木によって埋められて、当初の三分の一程度の大きさになっているらしい。
しかし、大正池に溜められる水を利用して東京電力が発電所を設けている関係で、毎年秋になると、せっせと浚渫される。その土砂はなんとトラック千台分だとか。東京電力のこの涙ぐましい努力がなかったならば、大正池はとっくに消滅していただろう。
大正池と立ち枯れの木の風景は有名で、今でも美しい。大正池に着いた時には穂高連峰に雲がかかっていたけれど、上高地に向かう途中で雲が切れ、上高地の河童橋に着いた頃には、穂高連峰の雄姿がはっきりと望める様になっていた。これも大変運が良かった。
大正池から上高地までの徒歩コースはほとんど平坦で、道も整備されている。スニーカーで十分歩けるコース。それもあって、ここを歩く人はとても多い。大正池に何台もの観光バスが停まり、ここの徒歩を楽しむ大量の観光客を降ろしている。中国語も沢山聞いた。
タクシーの運ちゃんによると、ここ数年、韓国、中国、台湾からの訪問客が多いのだそうだ。特に韓国が多いという。というのは、韓国には標高3000m級の山がない。その為、それを目指して上高地に大量の韓国人観光客や登山者が訪れるとの事。現代社製のバスまで日本に持ち込んで、オール韓国人の団体様が上高地にやって来るらしい。
河童橋からの穂高連峰の眺望は素晴らしかった。これを目当てに河童橋はごった返していた。本当はもう少し歩きたかったのだが、300mの移動すら徒歩を嫌がる母が同行しているため断念。母は大正池でタクシーを降りず、河童橋まで直行していた。昼食を乗鞍高原辺りでという意見に従って、上高地を後にした。
上高地も妻と来ている。その前は自転車で来ている。自転車で上高地に来た当時と比べると、道路事情はかなり良くなっているようだ。自転車の時は、松本から上がって乗鞍岳まで行き、上高地経由で安房峠を越え高山に行った。高山からは野麦峠を越えたのを覚えている。今回の旅行は昔の自転車旅行を思い出させてくれる、懐かしいものともなった。
上高地からは結局本日の宿泊地、白骨温泉まで直行する事になった。みんな蕎麦を食べていたが、何故か自分だけ無性にナポリタンが食べたかったので、ナポリタンにした。宿についてもまだ早い時間だったので、乗鞍高原辺りを散策することにした。
いがやレクリエーションセンターというところにスイスレストランがあるらしいという情報を仕入れ、そこに行ってみる事にした。このレクリエーションセンターは冬場ファミリースキー場になるようだった。夏は、釣りやパターゴルフ、サイクリングが楽しめる。
乗鞍高原は安曇野に位置している。安曇野はスイスのグリンデルワルドと姉妹都市関係にあるそうで、スイスに因んだ施設が所々見られる。このいがやレクリエーションセンターの入り口にも、スイス9524kmという道標があった。道標はスイスの山道にある道標を模したものとなっていたのだが、9524kmは流石に歩いてはいけない。第一、海を越えねばならないし。
敷地内に入ると、なんとなくスイスっぽい建物が何棟かあった。国旗も揚げられていて、スイスの国旗と、グリンデルワルドのあるベルン州の州旗、そしてグリンデルワルドの村旗が掲げられていた。レストランの名前はシオンだった。シオンはレマン湖畔にある有名な城なのだが、これはローザンヌ州にある。折角グリンデルワルド因みなのだから、アイガーとかユングフラウとかにすればいいのになぁ、などと頭をよぎる。
レストランにあるスイス料理はチーズフォンデューだけだった。まぁ、チーズやソーセージが主体のスイス料理を出すのには難しさはあるだろう。でも、ソーセージなら、もう一工夫出来る気もする。あと、スイスワインが欲しかった。レストランで何故か地場で取れた松茸が売られていた。だいぶ雰囲気的にスイスから遠のいている気がしなくもない。
白骨温泉のお湯は、白っぽくて「白骨」という感じだった。私たちが泊まった旅館は白骨温泉の上の方にあって、露店風呂の大きな旅館だった。お風呂については、みくりが池温泉と並んで満足のいくものだった。
ところが夜中、室内が急に停電して、非常灯がついた。すぐにベルが鳴り、自動アナウンスが流れた。「火事です、火事です、落ち着いて避難して下さい。」これにはびっくりした。旅館で火事に遭遇するのは生まれて初めてだ。ただ、この警報が鳴った時は周囲に煙も流れておらず、まだ避難の時間には余裕がありそうだと思った。
こういう警報が鳴った時には、人の本性が出る。まず息子、「火事だ—、みんな逃げろ—」、と叫んだと思ったら、直ぐにどこぞに逃げ去ってしまった。逃げ足の速い奴である。母は何故かトイレに入った。その後財布すら入っていないバッグを持ってロビーに下りて行った。財布は金庫の中だ。ロビーに行くのにエレベーターも使ったそうだ。この人は、一番先に犠牲者になってもおかしくはない。
私は何か持って逃げるにしても、どうかなと思い、まず周囲の状況を確認していた。煙が一向に見えないし、煙くささも感じない。これは誤報か、あるいは誰かのタバコのせいとか、ちょっとしたボヤ程度のものだろうと思い始めていた。だから荷物は持たず、最後に部屋の鍵をかけてロビーに向かった。その途中で旅館の人が私に告げてくれた。「大変申し訳ありません、誤報です。」
停電が起き、何かの不具合で火災報知機が誤作動し、通常の操作では解除出来なくなり、警報が鳴り続けてしまったそうだ。ロビーに集まったみんなは、旅館の人から誤報だと知らせを受けると、ほっとした顔をしたり、苦笑いをしたりして、それぞれの部屋に戻って行った。怒りだす人はいなかった。
翌日、旅館の人は朝から平謝りだった。朝食の後は珈琲もサービスしてくれた。清算の際には昨日の夕食で飲んだ飲み物代も無料にしてくれた。そうなるならもっと高価なワインを飲んでおけばよかったと、ちょっと悔やむ。それに、そういう事なら毎晩火災報知機が鳴ってくれてもいい。
2010/10/29
12歳の少女の自殺に想う
児童の自殺は問題だけど、近年頻発しているために、センセーショナルなはずのニュースが、「またか」、こんな感情しか残らない。自分自身恐ろしい。
ところが、今回のニュースは場所が桐生で起きたという事で、自分に衝撃があった。こんなことが、この町で二度とあってはならない。市も住民も本当に真剣になって向き合わなければ、この町は死んで行くだけだ。そういう危機感を覚えた。
数日新聞記事を読んでいくうちに、もっと強い衝撃を受けた。その衝撃は相当自分を打ちのめしている。ある種の絶望感をも巻き起こして。
小六の少女はいじめを苦にして自殺した。「汚い」「あっちへ行け」などと言われ、村八分になった。クラスの生徒が仲間外れにするということで、その子を差別し、いじめたのだ。少女の父親はおよそ10回も学校にいじめの対処を申し出ていたという。しかし、学校側は「仲間外れ」は認識していたが、それが「いじめ」だとは認識していなかったという。
人に向かって「汚い」などと罵るのがいじめではないのだろうか?法律的には名誉棄損で訴える事も出来る発言である。意識的な仲間外れは、明確な差別である。人を差別することは、いじめに等しいか、それよりも卑劣な行為のはずだ。
何故、学校はそういった事を深刻に受け止める事が出来ないのだろうか。校長の弁明も大変失望するものだった。まるでこの学校にはいじめや差別に対応できる能力がない。そして、それはこの学校だけなのだろうか、桐生市の学校全てに共通していないだろうか?実は日本全体で、そういえないだろうか。
子供たちに強い悪意があったとは思わない。差別意識も、集団心理の中で強化されたのだろう。しかし、それはちょっとした悪戯であったにしても、改めなければならないことだ。そうした事があれば、教師はその場で、こまめに対応しなければならない。人を傷つける小さな芽は、やがて深刻な事態を生む。
自殺した少女の親族は悲嘆にくれる。そしてそれを引き起こしたクラスの子供たちに深い心の傷を残す。いじめをしたという子供たちに、将来社会が冷たい仕打ちをしないとも限らない。
産経新聞によれば、自殺した少女の母親はフィリピン人で、この母親が授業参観日にクラスを訪れてから、少女への差別が始まったようだ。産経新聞の10月28日付記事によると「いじめは・・・5年生に始まった。授業参観に訪れたフィリピン人の母の容姿について悪口を言われたのがきっかけだった。」とある。
自分の親が、フィリピン人であることから馬鹿にされる、いじめられる。これは深刻だろう。愛すべき親が原因で、自分が差別されるのだから。その心中を察すると、涙が出て来る。私の子供も外国人の母を持つから。少女とわが子が重なる。
母がいるから、自分がいる。しかし、母がいるから、自分が認められない。いったい少女が、どう母を責められるだろうか?自分の存在だけが、罪悪の様に感じざるを得なかったのではないだろうか?
そして、私が少女の父親だったら・・・。最愛の娘を失ったら。自分が悪いのだろうか、自分の人生は誤っていたのだろうか、家族を守れなかった失望、怒り、どれもこれも行き場がない。
詳しくはわからないけれど、このいじめ・差別には、外国人への差別感情も含まれていると思う。いじめや差別さえ対処出来ない学校で、さらに慎重な対応が求められる外国人差別(人種差別を含め)にまともな対処は出来ないだろう、というのは想像に難くない。途方もない絶望感に襲われる。
しかし、こうした悲劇が二度と起きない様に、教育現場ではいじめや差別に本当に真剣に向き合ってもらいたい。教師だけではなく、父兄も向き合わなければならないだろうし、専門家によるカウンセリングも導入されるべきだ。日本は、こうした対応に遅れている。
2010/10/18
富山の薬売り考・白川郷、飛騨牛
率直に言って、宇奈月温泉の泉質よりみくりが池温泉の泉質の方がいい。宇奈月の湯はなめらかでいいのだけれど、私は硫黄臭のするちょっと白く濁ったお湯が好みだ。湯の華も欲しい。だけど、旅館で富山名物の越前ガニを堪能できたので、それは満足だった。
今日からは観光旅行となる。まずは富山市内に向かった。製薬会社の見学だ。富山と言えば、薬売りだ。これは江戸時代から始まったそうだ。何でも富山藩主前田正甫という人が愛用していた「反魂丹」という薬がよく効くという事から評判になって、前田の殿様自ら率先して全国に販売して行ったとの事。この時殿様の命令で、まず薬を置いてもらい、使った分だけお金を取る様にという商売が始まったそうで、これが富山の薬売りの始まりだとか。
昔の薬は、風邪も下痢も腹痛も何でも一つで済ましたそうで、反魂丹もそういう万能薬の一種だったとか。逝ってしまった魂を戻す(反)薬(丹)という事で、そういう名前が付けられたそうだ。今反魂丹は作られていない。明治になって、販売が禁止された。これは西洋医学の導入による弊害だったとか。今までの薬は科学的ではないという事で、一律切り捨てられたようだ。
こういう後払い式常備薬のシステムで商売している所は、世界広しと言えど、富山の薬売りしかない。世界でも希にみる商売だとの事。消費者に優しい素晴らしいシステムでもある。世界中から見学者がやってくるそうだ。しかし、その世界中からやってくる人々は誰も「自分の国ではこの商売は出来ない」という。売る方の正直さが根本のこの商売、お客の方も同様に正直さが求められる。このお客の正直さが国外では期待できそうもないそうだ。他の国から見たら、日本人は「馬鹿」がつく程の正直者なのかも知れない。
白川郷をちょっとみた。飛騨高山で飛騨牛を食べる予定だったので、本当にちょっと見る程度になってしまった。村内にも入らず、村を一望できる展望台に直行しての白川郷見物だった。ここの展望台にも中国を含めた外国からのお客様が沢山いた。白川郷は世界遺産にもなっており、相当知られてはいると思うが、日光並みの国際的観光名所になっているようだ。
飛騨高山。最後に訪れたのはもう10年以上前になる。妻と一緒に人力車に乗ったのを覚えている。その前には学生時代に自転車で飛騨高山まで行った事がある。確かユースホステルで知り合った女の子と暫く仲良くなった記憶がある。な、懐かしい。
今回の目的は、花より団子、飛騨牛を喰うということ。市内にある飛騨牛専門店に入った。網焼きで飛騨牛を頂く。美味しかった。エネルギーをつけ過ぎてしまったため、食後高山の古い街並みを見物がてら散歩した。古い町並みは確かに美しいのであるけれど、どこもお土産店みたいになっていて、ちょっと観光地化し過ぎている印象を受けた。人通りも多かった。
観光立国日本、確かにそれもいいのだろうけれど、観光地化、という事にも配慮が必要ではないだろうか。そんなことを考えた。商業化された観光地、それはどことなくいびつだ。形ばかりが整えられて、内面が失われつつある。果たしてどれだけの人がそれに満足出来るだろうか。
高山から山に入り、平湯を越え、さらに奥にある新穂高温泉に向かった。今日は新穂高温泉で宿泊。ここは秘湯なのだそうだ。大きな露天風呂があった。温泉はそんなに匂いのない、なめらかな感じの泉質だった。