2010/02/28

ストラスブールのノートルダム大聖堂

一本しか尖塔がないが、142mととても高い。12世紀に建てられ、増築の末15世紀に今の姿になったとか。

賑わう人々

独自の文化を持つアルザスを訪れる人々は多い。フランスから、ドイツから、あるいはスイスからもやってくる。

2010/02/27

古い家並み

歴史を感じる家並みがストラスブールの旧市街には残っている。

アルザス人

アルザス地方に住む人をそう呼ぶ。フランス人であるが、ドイツ的な文化を根底に持ち、フランス語の他にドイツ語方言ともいえるアルザス語を話す。写真のような木組みの家も、ドイツ東部を中心に多い。あまりにフランスとドイツを行ったり来たりしたため、地域意識が強く芽生え、自分たちはアルザス人という認識があるという。

2010/02/26

ローザンヌのトラブル覚書

商売をやっていると、自分が期待したとおりに行かない事に直面する事は良くあるし、去年はそれで大変焦った。今年はと期待していたが、早速躓いてしまった。働けど、お金が入らない。過去にもそういうトラブルがあり、今回が3回目。最悪の場合、裁判沙汰にもなるので、今までの状況を忘れないうちに書きとどめておく。

1月11日から15日までの5日間、ローザンヌのC社で働いた。
1月18日5日間の労働分と、昨年の9月に行ったC社のレストランでのイベントにおいてリースした食器類のうち、破損された分の補償を合わせて請求した。1月の労働分が1,711.75-フランで、補償分が469.00-フラン。合計2,180.75-フランの請求となった。食器類はレストランの扱いが乱暴であったため、3分の1程度が破損してしまった。支払いは15日以内との約束。この条件は以前から提出しており、C社からも確認済みだった。

2月2日に口座を確認しても、入金されていない事がわかり、確認を入れた。社長のL氏に電話をしたら、既に処理を行っているとの返答だった。
2月5日C社のレストランが新しく開店するというので、そこの住所を尋ねると共に、面会を申し入れた。面会のついでにそのレストランを訪問したいと考えていた。
2月10日、何度も連絡を入れているのに返答がなく、入金もないので督促状を送った。C社で働く日本人に尋ねたら、L氏はバカンス中だとの返答だった。
2月15日、L氏から新規開店のレストランの住所を知らせるメールがあったが、面会の事には触れておらず、支払いの返答もなかった。早速面会を申し入れる。また何度もL氏の携帯に連絡を入れるが、彼は出なかった。連絡が欲しいと伝言を残したが、L氏から電話が来る事はなかった。
2月22日、L氏からの電話は一向にないが、メールがやって来た。それには、支払いは今月中に行うとの事だった。
2月23日、L氏からメールがあり、破損した食器の補償はしないと書いてきた。何故なら、その様な契約はなく、私が勝手に食器を持ち込んだからだという事だった。早速、イベント前に提出したリース文書とその明細を送った。
2月25日、L氏からメールがあり、昨年9月のイベントの時に、食器とは別に破損していた製粉機の修理に1000フラン電気屋に支払っているので、もうこれ以上補償についての支払いは出来ないとの事だった。返信として、製粉機が故障したのも搬送が雑だったりするそちらの原因であって、その修理費が理由で食器破損の補償が出来ない、というのは納得出来ない旨を書き送った。
2月26日、C社からの入金は一切ない。今日入金がなければ、2月中に支払いをするという約束は破られた事になる。

この他、C社が契約した、私へのライセンス料の支払いも行われていない。今年はC社との関係でローザンヌでの仕事が増えると期待していたが、全くの正反対で、お金すらもらえない状況に陥ってしまっている。取引のあるジュネーブの食品会社の社長から聞いた話だと、大きい会社でも資金繰りが悪くつぶれるところもあるし、C社は金払いが良くないよ、と言われた。

ストラスブール

アルザス地方の中心都市。ローマ人が築く。その後フランク族が支配し、フランク族が3分したときに、東の神聖ローマ帝国領になった。当時はドイツ名でシュトラスブルグ。もっともフランス語名のStrasbourgをそのままドイツ語読みしてもシュトラスブルグになる。ドイツ語ではStrassburgとなり、Strasseが通り、Burgが城という意味から、シュトラスブルグは「街道の城」といった意味になる。因みにフランス語のBourgは街という意味となり、フランス語からすると「街道の街」となる。いずれにしても交通の要衝だったことがわかる。
中世のヨーロッパの都市は城壁に囲まれた城塞都市の形を取っているから、城と街は渾然一体だったのだろう。ドイツ語ではそれを城としての意味合いで捉え、フランス語では街としての意味合いで捉えているのが興味深い。
今はフランス領だが、この地方はフランスとドイツを行ったり来たりしている。しかし、その昔はフランスもドイツもフランク族支配の国だったわけだ。そんなわけで、ヨーロッパの象徴の様な町としてここにはEU議会が設置されている。
昔はストラスブール、コールマール、ミュールーズ、バーゼル、以上の4つの帝国自由都市をアルザス4都市と呼んた。ミュールーズはスイスと一時同盟関係にあったが、後にフランスに帰属した。バーゼルはスイスに帰属した。アルザスはスイスにとって、バーゼルがアルザスの一都市だった様に隣接する地理的に重要な地方で、同盟関係にあったり政治的にも密接に関係していた。

聖サン・レミの霊廟

サン・レミ大聖堂の中にある。この彫刻もすごいが、この廟の中に金の棺が・・・。フランスじゃなかったら、インディ・ジョーンズが登場しそうだ。

2010/02/25

トヨタの急加速問題とリコール問題には深い関心を寄せている

トヨタの急加速問題とリコール問題には深い関心を寄せている。というのは、うちの車もトヨタ車だから。当然心配にもなる。反面、うちの車はリコールの対象とはならなかったし、すこぶる順調に働いてくれている。過去にドイツ車やフランス車にも乗ったが、今のところトヨタに落ち着いた。というのは、やはり故障が少ないからだ。

私のこの様な体験と今回のアメリカでの問題はいささか隔たりがある。でも確かに、急に加速などされたらたまらない。自分のミスで事故を起こすならまだしも、車の欠陥で事故を起こされ、死んでしまったら、死んでも死にきれない。

そこで色々調べたら、トヨタ車が北米で死亡事故を起こしているほとんどのケースがフロアマットがらみだということ。このフロアマットの取り付けが不適切だと、アクセルペダルにフロアマットがからまって、加速してしまうのだという。

公聴会で証言に立った女性の陳述によると、アクセルを踏んでいないのに車が急加速を始めた。ブレーキをかけたりギアをバックに入れたが加速は止まらなかった。時速160キロに達し、私は死ぬと感じ、最後の電話のつもりで夫に連絡した。ところが、車は徐々に減速を始め、時速53キロになってエンジンを切る事が出来た、とのこと。涙交じりにこう証言して、多くの議員が共感を示したという。

しかし私は強い違和感を覚えた。この証言からすると、私にはこの人がパニックになったとしか考えられない。だいたい時速160キロに達して、夫に電話と言うところがすごい。確かにアクセルを離してもなお加速していれば、私でも焦ると思う。だからギアをいじるのは正解だが、そもそも前進中の車でバックギアを入れる事が出来ないのはドライバーの常識ではあるまいか。アクセルが戻らなければ、ニュートラルに入れればいい。どんな状態でもギアをニュートラルに入れる事は出来る。そうした場合、エンジンが回転を上げるだけだ。当然車の速度は落ちる。ブレーキもかかる。それと同時にエンジンを切る。でも、多分そこまでは頭が働かないかもしれない。余裕を失い、一つの事をするのに精一杯になる事もあるだろう。

私が考えるに、このドライバーは確かに車を運転する事は出来るが、車の操作方法についての知識が乏しい。走行中に起こりうる不具合に対する対処能力がないから、何も出来ないで、しまいには夫に電話することしかできなかったのではないだろうか。

アメリカで運転免許を取る事はとても易しい。私が受けたルイジアナ州での試験では、筆記試験に合格した後の実地試験で、試験場の周りを1キロほど1周し、無事に帰還出来たら合格である。車の整備とか、緊急事態への対処とか、そうした事は全く考慮されていなかった。こうした易しい免許制度が事故を誘発したり、
予防対策の障害になるだろうことは想像に難くない。

ということで、私はすっかり安心してしまった。この問題は日本でも、そしてヨーロッパでも起きないだろう。何故なら、免許を得る過程でドライバーは自分の身を守る術を身につけているから。

顧客第一というのも大切だと思うが、顧客第一主義を過剰に求めると、ユーザー側が脆弱になる。そんな一面を垣間見た気がする。ユーザー側は車は壊れるもので、危ないものだという認識を強めた方がいい。

一方で、トヨタをアメリカ議会が叩く事については、どんどんやって欲しいと思う。日本でもやったらいい。メーカー側には顧客第一を当然の様に追求してもらいたいからだ。それにもし、日本でこの様な原因で死亡事故が起きたらなら、マスコミの格好の餌食になり、その攻撃たるやアメリカ以上のものとなっただろう。トヨタには不幸中の幸いだったかも知れない。

私は今回の問題でトヨタの品質が地に落ちたとは思わないし、恐らく多くの人間がそう感じていると思う。今回の問題で、私はトヨタからアメ車に買い替えようとは露ほども思わない。アメ車に買いかえれば、頻繁に起こる故障に悩まされるのは目に見えているからだ。

トヨタの品質も以前より低下したのかも知れない。しかし、依然アメ車よりは優れていると思う。トヨタをアメリカ議会が叩き、トヨタがさらに品質重視に向かうとすれば、これはユーザーにとってこの上なくありがたい事だ。それに、他のメーカーも同じ厳しさを課せられる事になる。トヨタユーザーだけでなく、全ての車のユーザーにとってありがたい事だろう。

GMの自滅によって、トヨタは世界一になった訳だが、世界一はとかく叩かれるだろう。それに品質重視なら、世界一に固執する必要もないはずだ。あの事業仕訳で蓮舫議員の発言が思い出される、「どうして世界一を目指さなければいけないのですか?二番三番だっていいんじゃないですか?」一番に固執するより大切なものがあるということだ。

世界一を目指さなければ、二番にも三番にもなれないという反論があったが、そんな競争原理で科学や技術が縛られるのも問題だろう。争う必要のない自分らしさ、そういう観点の方がもっと大切だと思う。

2010/02/24

大聖堂のステンドグラス

この大聖堂のステンドグラスは大変美しかったです。聖堂内では撮影禁止というところも多い中、無料でかつ撮影自由と言うのもうれしさひとしお。

球状噴水

夜見ると、水が反射して意外に美しい。昼はいまいち。

2010/02/23

ランスの繁華街

夜でも賑わっていた。つうか、繁華街で夜に賑わっていなかったら致命的だが。

夜に浮かぶノートルダム大聖堂

流石遠くからも一別してわかる建物だけあって、夜の町でもひときわ高く目立っている。

2010/02/22

IE8とBeckyの使用をやめる

メインのノートをWindows7にしてから、いくつかの問題が出ている。まずIE8だが、とんちんかんなセキュリティの警告が頻繁に出る割には、あっさり不必要なツールバーやプロパティの変更を外部から許してしまう。最初は便利そうだと思ったが、結構重いし、だんだん使いたくなくなって来た。そこでIE8から、FireFoxに乗り換えてみた。FireFoxは無料のインターネットブラウザで、軽いというのが定評。ブラウザのシェアもIE8に次いで2位を占めている。

今のところ、使用感はすこぶるいい。ブックマークや設定などもIEから問題なく移植出来た。既定のブラウザにもFireFoxを設定した。しばらくこれでやってみる事にする。

今まで使っていたメール・ソフトのBecky2だが、Windows7との相性が良くない。特にプラグインなどがインストール出来なかったり、正常に動作しなかったりする。もともとBecky2のプラグインは第三者がボランティアで開発しているものなのでサポートもない。しばらく様子を見ていたが、Becky2はWindows7に対応しないと判断した。現状、特にスパムメール対策に不具合があるので、メール・ソフトの移行が必要になった。

移行候補になったのは、JustSystemのShurikenとMozillaのThunderbird。
http://www.justsystems.com/jp/products/shuriken/
http://mozilla.jp/thunderbird/


どちらも高機能なメール・ソフトだが、Thundergirdは無料というところがポイントだ。Shurikenは有料ソフトなので、体験版をインストールしてみた。因みにOutlookが移行対象から外れたのは、Outlookは2ギガとかメールデータが大きくなると、極端に遅くなったり、データ破壊がおこったりするのだそうだ。

私の場合、長い事Becky2を使っていたので、そのメール資産が1ギガ程ある。この資産を移行できるかどうかもカギだったのだが、その点についてはShurikenが優れていた。ShurikenはBecky2のメール資産、フォルダー構成、アドレス帳、アカウント情報、設定等をほぼ自動的に全てインポートしてくれる。おかげで、Becky2の時とほとんど同じ状態が数時間の移行作業で完了した。

ThunderbirdはOutlookやEudoraなどからは移行できるが、Beckyには対応していない。ということで、Thunderbirdへの移行は大変な手間になる事がわかった。Shurikenは有料であるけれど、今までの資産をそっくり簡単に移行できる事を考えると、多少の出費(といっても3千円ちょっと)をしてもShurikenの方が得策な様だ。今のところ、Shurikenの使い勝手もすこぶるいい。

夜のサン・レミ大聖堂、横から

ロマネスク様式とゴシック様式の合体した作りだとか。手前辺りの作りがゴシック的。写真右の銅像だが、右が聖サン・レミで、左が洗礼を受けるクローヴィスとなっている。

夜のサン・レミ大聖堂

昼見るより、結構美しく感じる。

サン・レミ・バジリカ聖堂、あるいはサン・レミ大聖堂

併設の修道院の裏側から撮っているので規模が小さく見えるが、正面から見るとでかい。修道院の方の名前で世界遺産に登録されている。フランスの初代王クローヴィスに洗礼を与えた聖サン・レミが安置されている。クローヴィスはゲルマン王として初めてカトリックが認めた王で、これが西ローマ帝国、神聖ローマ帝国などにつながった。この故事によって、代々のフランス王はランスのノートルダム大聖堂で戴冠をしている。
バジリカはバジリカ聖堂といわれたり、単に大聖堂と言われたりする。バジリカという名前は単なる教会より格が上の教会につけられたそうで、そういう意味ではカテドラルと同じようなものだが、微妙に違う。

2010/02/20

私のスイス、ヨーロッパ(112)

 8月初め、子供たちは夏休みで1週間のキャンプに出かけ、妻は仕事、その間私に仕事が入っていなかった。一人で旅行に出かけられるのは、こんな時しかない。年に1度あるかないかの希な機会だった。昨年から是非アウシュビッツを訪れてみたいと思っていたので、この機会に行くことにした。車を使い安宿に泊まってのエコノミー旅行ということで妻の承諾も得た。

 8月4日、曇り。午前4時半起床、5時に家を出た。本日の目的地はポーランドのクラクフ。しかし、相当距離があるうえ、訪れた事もない国なので無事に辿り着けるかはわからない。とにかく走れる所まで走るという計画で出発をした。

 ルートはベルンを出て東に走り、スイスの東端ザンクト・ガレンよりオーストリアのブレゲンツを通過し、すぐにドイツに入り、さらに東にミュンヘンまで走る。ミュンヘンからは北上し北北西に位置するドレスデンを通過、そこからさらに東へと走り、ポーランドに入って、ウロツワフ、カドヴィツェと過ぎてクラクフに到着するというもの。ざっと見積もっても1300キロを越える行程だ。ドイツのドレスデンまでで既に900キロに達するので、ドレスデンまで行ければ上出来と思っていた。

 実はミュンヘンからチェコのプラハを通り、ポーランドのカドヴィツェに向かうというコースがちょうど2辺の斜めを走る近道となっているのだが、私の持っている本では高速道路は有料とあったので、それを避けるためにちょっと遠回りでもドイツから直接ポーランドに入るコースを選んだ。ドイツの高速道路は無料な上、速度制限がないくらいに良く整備されていて走りやすい。

 スイスの朝の5時は夏場でも暗い。夜明けは5時半ころから始まり、6時にならないとお日様の照る朝が訪れない。その分、夜は9時半を過ぎてもまだ明るい。ようやく明るくなった7時頃、ザンクト・ガレンを過ぎた国境近くで給油をした。スイスのガソリン代はドイツのガソリン代に比べて3割くらい安い。なるべくスイスでガソリンを買うのが経済的だ。今日のスイスの朝はちょっと霧の立ちこめる曇り空だった。

 ドイツのミュンヘンに向かうには、どうしてもオーストリアを通過する必要があった。ほんのちょっとの距離なのだが、オーストリアに入らなければならない。ただし、シェンゲン協定というものがあって、スイス、オーストリア、ドイツはこれに加盟しているため、国境でのパスポート・コントロールはない。国境はノンストップで通過できる。

 ミュンヘンを過ぎたのは10時前だった。ここまでで走行距離が450キロ。曇り空だ。エアコンのない私の車にとって、曇り空は結構快適ではある。ドイツの高速道路は快適で、すいすい走れる。燃費も気になるので、時速130キロで巡航するが、それでも多くの車に追い越される。時速130キロを保つ様に走ると、だいたい1時間で120キロは進む。少し距離が伸びないのは大型車などが走行を邪魔したり、工事があってスピードダウンすることがあるからだ。

 ドレスデンを過ぎ、ポーランド国境までは大変順調に進んだ。午後3時にはポーランドに入れた。ここまでの走行距離で1015キロになっていた。1015キロを10時間弱で走った。この調子だと、今日中にクラクフに着けると思い、目的地をクラクフに定めた。

 ところが、ポーランドに入ると、高速道路が終わってしまった。建設中の高速道路が見えていたのでもうすぐ高速道路が開通するのかも知れない。とりあえず、国境の両替所でポーランド通貨のズオチを買う。100フランで250ズオチが買えた。日本円にすれば1ズオチが35円くらいだ。

 30分ほど下道を走ると、再び高速道路が現れた。しかし、私の持っている地図(2002年版)では高速道路はウロツワフまでしか延びていなかった。この分だと、クラクフまでは無理かな、と不安がよぎった。ところが、なんと高速道路はクラクフまで延びていた。この6-7年で相当高速道路が整備されたようだ。

 ポーランドの高速道路は時速110キロの制限だったが、その速度制限を守っている車は少なかった。特にドイツナンバーの車は、ドイツのアウトバーンを走っているかの如く、猛スピードで走っていた。ポーランドの高速道路は有料とあったので、どの位取られるのかちょっと不安ではあった。

 しかし、料金を徴収されたのはカトヴィツェの手前で6.5ズオチ、そしてクラクフの手前で6.5ズオチの合計13ズオチだけだった。高速の出口には個別料金所がないので、この料金所の手前で降りて、1区間下を走った後にまた高速に入れば、高速料金は無料になるに違いない。しかし、およそ400キロの高速区間の料金がたったの13ズオチ(約455円)なのだから、これは支払ってあげなければいけないような感じもする。

 クラクフについたのは午後7時45分頃だった。およそ14時間30分の運転となった。走行距離は1462キロ。やはり、毎時100キロのペースで運転できた事になる。それにしても、1日で1462キロも走ったのは、自己最長記録だ。それ以前はアメリカで1日1200キロ走った記録を持っていた。

 クラクフでは旧市街から2キロ程離れた所にホテルをみつけた。ホテルの名前はパノラマ(Panorama)、1泊朝食付き140ズロチ。日本円で5000円くらいだ。旧市街の散策は翌朝に回すことにした。ホテルに着いた頃には日が暮れていたのだ。東に移動したおかげで、日が暮れるのが早くなったみたいだ。クラクフでは午後8時半には暗くなっていた。

ランス、ノートルダム大聖堂 Cathedrale Notre-Dame

まずフランスでよく出会う、ノートルダムという名称だが、これは聖母マリアを指す。要するに聖母マリア教会とか、聖母マリア大聖堂をいう。Notre-Dameを英語にするとOur Ladyという意味になる。Cathedraleは大聖堂を意味するが、日本語の大聖堂は色々な大きな教会を十把一絡げ
に大聖堂と訳してしまう。カテドラルは司教(ラテン語でカテドラという、一定の地方で司祭を束ねる聖職者)座のある教会をいう。
ということで、この聖母マリア大聖堂にはランス司教がいたことが名前でわかる。因みに日本にも東京にカトリックのカテドラルがあって、名前が聖マリア大聖堂という。
話しは脱線するが、これは関口教会という小教区にあって私も短い間そこに籍があった。すぐに台東区の上野教会に移ったのだが、洗礼を受けたのが関口教会で、東京カテドラル・関口教会には深い縁がある。その信徒総代があの漢字の読めない失言総理大臣の麻生太郎氏だったとはび
っくりした。氏に神の祝福のあらん事を、あーめん。

ランス

遠くにランスのシンボルの大聖堂が見える。ランスもシャンパンの町で、名だたるシャンパンメーカーがランスにある。こちらでも工場見学が出来る。クルッグの前を通ったら、工場見学を受け付けていた。
ランスにある有名メーカーを上げると、クルッグ、ランソン、ヴーヴ・クリコ、ピペ・エドシック、ティタンジェ、ポメリーなどなど。
ピペ・エドシック(Piper Heidsieck)は日本語のガイドもあるそうです。

2010/02/19

谷を見下ろす丘

谷の下にエペルネーの町が広がっている。丘の斜面には、小さな村が点在している。この様な村の中には、自家醸造のシャンパンを造る所もある。地シャンパンといった感じ。

マルヌ谷

エペルネーを通るマルヌ谷は両岸に緩やかな丘陵地帯を抱え、ここが広々としたワイン畑を育んでいる。また、ここがシャンパンの心臓部。

2010/02/18

シャンパンロード

エペルネーからランスへ向かう道は、シャンパンロード。その風景も素晴らしいものがある。

エペルネーの市庁舎

モエシャンの創始者はかつてエペルネーの市長だったとか。市庁舎の向かいがモエシャンだし、通勤も近かったろうねぇ。市庁舎の横にツーリスト・オフィスがあるので、メーカー見学がしたければまずここに行くことをお勧め。ツーリスト・オフィスで夕方シャンパン試飲会もやって
いた。

中国、対ソマリア海賊の護衛で欧米の仲間入り

スエズ運河を経由し欧州とアジアを結ぶ重要な航路となる紅海の南端にソマリア湾があって、アラブからアジアに送られる石油の重要な航路の一部ともなっている。そこにソマリア海賊が出没していて、世界の海賊被害のなんと3分の1を占めている。

石油がらみであるからして、日本にしても当然深刻な問題で、日本も商船護衛の為に護衛艦を2隻派遣している。護衛艦と言っても、軍隊のない日本ゆえの名称であって、実態は今や世界的に軍艦の主流を務める駆逐艦だ。

日本でも比較的に名の知られているイージス艦。これも駆逐艦の一種。イージス艦の場合、アメリカで開発された対空システムであるイージスシステムを配備した駆逐艦であるためにイージス艦と言われている。

ソマリアに派遣されている日本の駆逐艦は、純国産の駆逐艦で、当然世界の駆逐艦と比して決して劣る事のない戦闘能力を有している。

中国もソマリアに自国商船の護衛の為に戦艦を派遣してるのだが、その戦艦数は2隻のみ。日本と同じだ。しかし今年1月から、中国は欧米と対等のリーダーとして、ソマリアの護衛に当たる事が認められた。
http://www.earthtimes.org/articles/show/306520,china-joins-us-eu-anti-piracy-operation.html /Fri, 29 Jan 2010

こんな大ニュースなのに、何故か日本のメディアは報道しない。日本のメディアは中国が国際的に重要な貢献をすることがお気に召していないらしい。もっと穿った見方をすると、官僚のポチであるメディアが、お上の意向を汲んで無視を決め込んでいるとも言えそうだ。

日本のメディアは官僚のポチであるが、その官僚はアメリカのポチとも言われている。対米従属をしている限り、日本の官僚機構はお家安泰だ。中国に接近したがっている小沢氏を最も疎んでいるのが官僚だとも言われている。

Googleの一件や、台湾への兵器輸出承認などを見ると、一見アメリカは中国をけん制している様に見えるが、実は要所要所で中国を認めている。この件にしても、アメリカのみならずヨーロッパも中国を認め、特に安全保障の分野では中国はもう欧米の仲間入りを果たしている事がわかる。無論人権問題もあるが、これは残念ながら権謀術数の国際外交おいて、単なる弾丸一つ程度にしか扱われていない。

このソマリアの一件は、アジアの安全保障にとって大変重大な影響を及ぼす。ソマリアにおいて日本と中国は実質的に同じ貢献をしているにも関わらず、中国は欧米の一員となり、その影響力は今やアジア全体に及ぶものとなっている。どの国だって石油の供給源を握られれば弱い。

これでわかるのは、アメリカも日本が思う程の重要度を日本に感じていないということだ。これはアメリカ留学した遥か昔に実感した事なのだが、今やアメリカにとって日本の重要度は中国並みか、下手したらそれ以下だろう。

これは反面いいことだと思う。何故ならこれは日本独自の外交政策を実行できる根拠となるのだから。アメリカと日本が共通の利益となる事であれば協調して行けばいいし、中国と日本が共通の利益となることであれば協調していけばいい。中国敵視は完全に時代遅れだ。(ただ、中国にはいまいち信頼出来ない所があるけれど・・・。特に食品ね。)

ヨーロッパにいると、というか多分アメリカでも同じだろうと推測できるが、そもそも欧米人にとって中国と日本は区別できない。いっしょくたなのだ。

沖縄基地問題なんかにしても、きっとアメリカ人には全然問題になっていない。そうした背景で、外交的に有利に利用したいアメリカ政府のみがこの問題を手玉に取っている。これをヒステリックに問題扱いしているのが、お目出度くも日本のメディアだけで(特に読売がひどいと感じている)、その裏には明明白白な親方がいる。果たして、これが日本の国益に合致しているのか大変疑問だ。因みに、ヨーロッパで沖縄基地問題など報道されもしない。

2010/02/17

王冠をつけて二次発酵中のシャンパン

昔は瓶の質が悪く、この過程で沢山割れてしまったとのこと。歩留まりが悪いので、シャンパンは高く取引されたのだとか。シャンパンを楽しめたのはヨーロッパの王侯貴族のみ。ロンドン、パリ、ウィーンで上流階級の人々が楽しんだわけです。

ワインに泡を入れる

まずは普通にワインを造る。といってもピノ・ノワールはブランシュ製法になる。いいやつは樽熟成もさせる。これを瓶に詰め砂糖と酵母を加えて王冠をする。地下の涼しい環境の中でゆっくり発酵が進み、ワインの中に発酵によって生じた炭酸ガスが溶け込む。この2次発酵が終わっ
たら、瓶を何日もかけて少しずつ回転させながら立てて行く。瓶の口に死んだ酵母が集まるので、塩水に氷を突っ込んだ容器(今は液体窒素)にその口を突っ込み、酵母をシャンパンごと凍らせる。そして王冠を抜いて、氷ごと酵母を抜き取る。量が減るのでリキュールを足してコルク
の栓をする。この最後に足されるリキュールの甘さで、シャンパンの甘さが決まる。
地下セラーにはこのワインを立たせる為の木製の板が展示されている。なお、大手はみなそこら辺の作業は機械化してているとのこと。

2010/02/16

五輪とクジラ

スイスからだと今行われているバンクーバー五輪の、日本選手の活躍が見られない。そこで色々とネットを徘徊していたら、シーシェパードが日本の捕鯨船まで乗り込んで来たというニュースを見た。

たった、これだけの関係。ほとんど無関係。

まず五輪。五輪向けの動画サービスは、YouTubeなどではなんとか見られるが、民放各社の共同配信サイトやNHKの配信サイトからは見られない。日本国内だけのサービスなんだとか。民放は致し方ないにしても、NHKはそれでいいのかっ! 海外在留者を切り捨てるのかっ!といいたい。スイスのテレビでは、スイス人の選手が主で、日本人が出てこない。泣

クジラの肉は、スイスでは食べる事が出来ないので、対岸の火事の様に見ているが、ノルウェーは沿岸捕鯨でミンククジラを獲っているんだよね。クジラの肉、ノルウェーでも食べられる訳だ。日本が目立って叩かれるのは、南極海という公海上で捕鯨するからなんだろう。

公海にある資源は誰のものか微妙な所だし、魚を食べない国もその資源に関わる権利がありそうだ。日本の漁業がどのくらい公海漁業に依存しているかわからないけれど、公海漁業は国際的な資源管理の監視下で規制の方向に行くだろうし、資源保護以外にも環境保護という観点から、一層の規制がかかって行くだろうと思う。

小学校の給食やら家の食事でもクジラを食べた事があるので、クジラの肉は好きだし、機会があれば食べたいと思うけれど、養殖でもしなければ食べられなくなる時が来るかも知れない。

シーシェパードなんかも、あれだけ派手に動かなければ逆にスポンサーもつかないだろうから、あれはあれで大変なんだろうな。わざわざ自由を拘束されに日本の船に乗り込んで、きっとそういう風に突き動かされる何かの事情がある様な気がする。アメリカの大学教授の銃乱射とも結びつく、過激さを生み出す何かしらがある様な・・・。

五輪とクジラ、どちらも国際的な話題ではある。

シャンパン・地下セラー

眠っております、一本うん千円になるシャンパンが。これだけで一体いくらに・・・。

モエ・エ・シャンドン エペルネー

エペルネーの町には名だたるシャンパンメーカーが工場を持っている。エペルネーには各シャンパンメーカーが掘った全長100キロ以上に及ぶ地下セラーがあり、うん千万本もの、いやうん億本のシャンパンが眠っている。ここでは主にワインに泡を造る2次発酵工程以降を行ってい
る。
モエ・エ・シャンドンといえば、モエシャンで日本でも名前が通っている一流シャンパンメーカー。このメーカーのプレミアム品に、ドン・ペリニヨンがある。1本1万円以上の高級シャンパン。通称ドンペリ。因みにドンペリロゼはもっと高価で、これをピンドンと呼んでいるらしい。(私には縁のない話しで・・・・泣)
ドン・ペリニヨンとはもともとシャンパン製法を発明した修道僧の名前。モエシャンが彼の名に因んで、自社のプレミアムシャンパンにその名をつけている。
因みにエペルネーは一人当たりの所得がフランスで一番高いそうです。まさにシャンパンで成り立つ町。

2010/02/15

ヴーヴ・クリコの醸造所(アイ村)

ヴーヴ・クリコは英国王室御用達のシャンパン。他のシャンパンよりちょっとお値段も高め。

ボランジェ、今三つ星のメーカー

妥協を許さないシャンパン造りをするメーカーとして知られている。シャンパンメーカーの最高峰の一社との名声を受けている。日本では1本6千円から8千円。プレミアムものはうん万円。ちなみに、シャンパンメーカーの家はみんなこんな感じ。よほど儲かるらしい。ボルドーのシ
ャトーに匹敵する。

2010/02/14

シャンパンになるぶどう

主にピノ・ノワールとシャルドネが使われるが、ピノ・ノワールは赤ワイン用のぶどうだ。写真のように熟成してくるとぶどうは赤黒くなる。この赤ワインのぶどうを収穫後迅速に圧搾し、透明なブドウ液を得る。これがシャンパンワインの原料となる。そのため、醸造所は畑のすぐそ
ばに造られる。

アイ村

AYと書いてアイと読む。アヤじゃない。この村はブドウ畑の斜面のすぐ横にある。アイ村のぶどうはシャンパンの最高級品になる。一流メーカーはこの村に醸造所を設け、収穫後すぐに醸造を行う。

アメリカの銃乱射事件からつらつら

アメリカの銃乱射事件が最近もあって、なんとその犯人が女性の大学教授であったというので大変驚いた。知性の最高峰の職業ともいえる大学教授が銃乱射とは、しかも女性がという点で、何かアメリカ社会の内部矛盾の深刻性を垣間見る気がする。

今まで、銃規制の緩やかなアメリカだから、銃乱射事件などが起きると思っていたが、それは多分違うんじゃないかと思うようになった。殺人に使う銃は道具であるが、人を殺す道具は銃に限らない。殺人をしたければ、何だって凶器になりうるだろう。むしろ、人を殺人者に追い込んで行く何かが、アメリカにあるのだと思う。

銃所有率から行くと、アメリカをも抜いてスイスは世界一なのだそうだ。しかし、アメリカよりは殺人発生率は低い。何せ国民皆兵で、兵役のある男子は自宅に銃の保管が義務付けられている。国民に銃を所有させるが、その扱いの心構えまで兵役で教えるから、むしろ銃を用いた犯罪に歯止めがかかっている、という説もある。

実はスイスの殺人発生率は隣国と比べ突出して高い。これと銃の所有率の高さには関係があると主張する研究者もいる。しかし、反論もあって、例えば外国人説などで、外国人の占める殺人事件の割合が55%もあるという。また、スイスの殺人事件の60%は家庭内殺人で、銃殺より絞殺が一番多いという。都市部の犯罪発生率が突出して高く、人口が少ない割には国際都市の多いスイスの構造的な問題だとか、色々言われている。例えば、ジュネーブの犯罪発生率はスイス平均の4倍弱にもなっている。因みに最も多い犯罪は窃盗だ。

アメリカの場合はどうなんだろう。移民社会という、比較的緩やかなつながりの上に成り立っている国。自由、平等という素晴らしい理想はあるが、経済合理性だけで能力を判断され、人はいつも過度なストレスに晒されていると聞く。自由、平等の元に拡大する貧富の格差、そうした捻じれと関係はないものなのだろうか。

アメリカの人口10万人当たりの年間殺人発生率は5.9件(2004年)と高く、これを人口とかけて、1日当たりの殺人件数を計算すると、なんと51件にもなる。これは深刻な問題ではないだろうか。他国に民主主義を押し付けて戦争などやっている場合ではない。もしかしたら、そうした治安悪化を招いている深刻な社会問題を隠蔽するために他国へ戦争をしかけて、そちらに目をそらさせているのではないだろか、などの陰謀論もちらほら頭をよぎる。

資料【人口10万人当たりの殺人発生率(2004)】
国名    殺人発率 年間計算 1日平均

日本     0.5    637    1.74
スイス    2.9    220    0.60
リヒテンシュタイン2.9   1    0.003
アメリカ   5.9   18567    50.87
イタリア   1.2    719    1.97
フランス   1.6    1026    2.81
ドイツ    1.0    822    2.25
オーストリア 0.8     67    0.18

ヨーロッパの近隣諸国と比較して突出して殺人発生率の高いスイスだが、1日に0.6件しか発生していない。人口が少ないので、率が高めに計算される様だ。その顕著な例がリヒテンシュタインで、人口が3万5千人しかいないので、年間1件しか発生しない殺人事件で、殺人発生率がスイス並みに2.9件となってしまう。ヨーロッパ各国でも1日2件程度は殺人事件が勃発しているようだが、オーストリアはかなり優秀だ。

これを見ると、日本の殺人発生率が一番低い。私の引用した資料では、世界で一番殺人発生率が低かった。フランスやドイツと比較しても、半分か3分の1の割合だ。殺人発生率から行くと日本は世界一安全な国になる。しかし日本人はみんな、日本は治安が悪くなったと思っている。

あまりにも平和な日本は、不景気になってもそう犯罪は増加しない。凶悪犯罪の件数も年々減少している。しかし、あまりにも平和ゆえに、他にネタもないので、日本のメディアは殺人事件を毎日のように報道している。人口の多い日本は、殺人発生率が少なくても、1日に2件近くは殺人事件が発生する計算になるので、メディアも毎日報道出来るわけだ。
日本は治安が悪化しているなどと怯えたり、自虐的になっていると、監視カメラなど必要以上の防犯設備を作り出し、いたずらにセキュリティ会社を儲けさせるだけだし、それが産業として確立すれば、会社発展の原理によって、世の中は常に危ないというプロパガンダが流される。その先は、警察やセキュリティ会社が幅を利かせる監視社会だ。実際にセキュリティ会社の株価は上がる一方だという。

日本が今実現している、犯罪の少ない安全な社会というのは、実は日本人が日頃気付かない、自分たちの道徳心なり倫理観からもたらされていて、とても単純な事なのではないだろうか。お天道様に恥じない行いをしなければならない。誰が見ていなくても、お天道様は見ている。この様な極めて高潔な倫理観を皆が習得しているので、犯罪も他国と比較して少ない。これは大変誇るべき事なのだと思う。

危ない、危ないと心配して、監視社会を作ろうなどと考えずに、まずは自分たちの倫理観に自信を持って、さらにこれを広めたり、実践を怠っている所ではこれを支援したりする努力の方がよほど大切に思えてならない。それにこれは、自分の行い一つで社会が良くなるとても簡単な方法だ。

2010/02/13

黄金の丘に浮かぶ村

あの村でもシャンパンが造られ、多分それは商業ベースに乗らない、地シャンパンというものがあるのだろう。地シャンパンを訪ねる旅も面白そうだ。

丘が近づくやいなや

おお、ブドウ畑の海だ。これがあのシャンパンに皆変身するのかと思うと、黄金の丘に見えてくる。

2010/02/12

シャンパーニュは意外にも平坦な地

あのシャンパンの丘が始まるまでは、こんな平らな地。当然ブドウ畑などない。まるでポーランドを彷彿させる風景だ。

シャンパン・ワイン畑 白い丘

どこが白?だが、シャンパンの白の事を想像しているのかも。ついにやって来たシャンパンの故郷、シャンパーニュ。写真左の丘にはシャンパンとなるブドウ畑が!

2010/02/11

外国人地方参政権に思う

こんなニュースを見つけた。韓流スター、すなわち韓国人が青森県の一日県知事になったそうだ。外国人に被選挙権はないから、当然知事にはなれない。しかし名誉知事にはなれるということらしい。
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=126102&servcode=700&sectcode=700

一概に外国人と言っても、日本以外に世界には百を超える国があるのだから様々だ。その中で韓国は日本との所謂歴史的経緯を負っており、在日外国人の中でもその比率は大変大きい。そんな中で韓国嫌いの人もいるし、極端な韓国排除を唱える人もいる。

あるイタリア人と話したら、イタリア人はオーストリア人が嫌いなのだとか。何故かというと侵略された経緯を持つから。フランス人がドイツ人を嫌いというのも良く聞く。スイスに至っても、ベルン州の住民、すなわちベルン人はチューリッヒ州の住民、すなわちチューリッヒ人が嫌いなのだそうだ。ジュネーブ(州)人とヴォー(州)人も反目している。

国が近く、お互いに競争するような関係にある国同士では反目もあり、好き嫌いが両極端になりやすいという傾向があるようだ。日本と韓国の関係、北朝鮮も含めてだが、これは特殊な事情でも何でもなく、そういったどこの国でもある傾向だろう。これに関してはヨーロッパもアジアも差はない。

北朝鮮は特別だという人もいるかも知れない。私も個人的には問題が多い国だと思う。民主化して欲しいと思うけれど、そうした危険と思える国は、ヨーロッパにおいても、地中海を挟んでごまんとある。しかしヨーロッパにおいては、そうした事情を乗り越えて、むしろ外国人の社会統合という側面の方を重視している。

外国人を差別して排除しようとすると、その外国人は自分たちを守るために固まって住むようになり、ますます強固な独自社会を作ろうとする。むしろ外国人を自分たちの社会に受け入れやすいようにして、参加してもらうことが、その国を安定させる事になる。これが外国人の社会統合だ。

ある意味、韓国人も日本の名誉知事になれる時代になったのだから、外国人地方参政権がヨーロッパの様に認められる事も自然なのだろうと思う。

チェコよさらば

ドイツ国境が近づいてくると、丘陵地帯のうねりが強くなってきた。黄金色の平野部が去ったということは、もうドイツがすぐそこなんだろう。チェコよさらば、思っていたより素晴らしい国だった。また機会があったら訪れたい。モラビア地方のワインもいいらしいので。

チェコの民芸品か?その2

羽が生えている所を見ると天使か妖精か。こちらの方が整った顔立ちに思われる。私の主観だが・・・。

チェコの民芸品か?

なかなか個性的な顔立ちの人形だった。チェコの田舎少年少女といった感じなんだろうと思う。

2010/02/10

構内に蒸気機関車、ビア樽

ちょっとしたデコレーションなんだろうけれど、昔の雰囲気を醸し出している。

ビールを飲んでライブを楽しむ若者達

地元の若者と思うが、髪の毛が黒っぽい。意外に黒っぽい髪の毛の人が多かった。

2010/02/09

醸造所の風景

結構整った感じの工場。チェコでも最大級の生産量を誇る工場だというけれど。

ビール直売ブース

おいしそうなビールが次々に注がれる。実際にうまかった。コクと苦みのバランスが絶妙。

醸造所の風景

結構整った感じの工場。チェコでも最大級の生産量を誇る工場だというけれど。

2010/02/08

プラズドロイ醸造所で無料のライブ

運良く無料ライブがあった。定期的にこの様なイベントをやって、地元の人や観光客を楽しませている。無論ウルケル・ビールを飲みながら。500ミリリットルのビールがライトタイプ28コルナ、クラシックタイプが38クロナだった。200円くらいで飲める計算になる。いくら
工場直売といったって、激安!!

プルゼニュスキー・プラズドロイ醸造所

ドイツ名をピルスネァ・ウァクヴェル(Pilsner Urquell)。英語的にピルスナー・ウルクェル。日本語表記はピルスナー・ウルケル。プルゼ二の元祖ピルスナー・ビールの醸造所。門に1842−1892と書いてある。元祖ピルスナービールの醸造所をプラズドロイが受け継いでい
るといったところ。ビールは13世紀頃から造られていたが、黄金色の透明なビールは1842年、ここで初めて造られた。それ以前のビールは褐色か黒ビールの様なものだったそうだ。今やピルスナー・タイプはラガービール(底面発酵ビール)の代表格。日本人が一般にビールと思
って飲んでいるのは、ほとんどこれ。その日本人の愛する黄金色のビールの発祥の地がここだ。

2010/02/07

市庁舎

それなりに歴史的な重みを感じる作りになっている。この左隣がツーリストインフォで親切だった。ホテルの紹介料が無料なのがうれしい。

大シナゴーグ(Velka Synagoga)

ユダヤ教のシナゴーグの規模としてはヨーロッパ最大だとのこと。世界でも3番目に大きいそうです。大きさよりも、美しさがいい。

2010/02/05

ピルスナー・ビールのパブ

ここで元祖ピルスナービールが飲める・・・。涎

プルゼニの市電

レトロな感じがいい。角々しくない作りがまたいい。

スイスは銀行員天国やね

リーマンショックで世界的不況のご時世だというのに、スイスの銀行業はどこ吹く風だ。なんと、2009年の銀行員の給与は2008年を上回ったとか! しかも賞与に至っては前年の50%アップだとか。信じられないっ! 50%もアップ???
http://www.swissinfo.ch/jpn/detail/index.html?cid=8224916

金融関連の従業員の平均年収は36万1000フラン ( 約3100万円 ) で、前年より20.7%上昇したんだとっ!
年収が平均3100万円って、日本のバブルの時の金融機関の従業員ですらそこまで行っていなかったのとちゃうか?

この国は銀行員の天国やね。

聖バルトロミェイ教会

プルゼニ市にあってひときわ目立つ教会。共和国広場のど真ん中に鎮座している。150年かけて15世紀に完成したという。ヨーロッパで100年以上かけて作る建造物はざらにある。あのバルセロナのサグラダ・ファミリアなどまだ建造中だ。あちらは130年弱経過しているとの
事。あと200年くらいかかると見積もられている。聖パルトロミェイ教会の塔は103mあって、チェコ一番だそうだ。

端正な家並みのフルゼニ市街

ドイツ国境から80キロのプルゼニ。どことなくドイツ的雰囲気も漂う。

2010/02/04

メディアには出ない検察の敗北・問題点

小沢氏の不起訴が決まったそうだ。小沢氏の秘書を3人も逮捕しておいて、さんざマスコミに情報をリークしておいて、不起訴だ。もうこれは検察の敗北の何物でもない。今回の捜査劇は、国策捜査との批判も出ている。検察の威信は地に落ちた。本丸を取れないでここまで大騒ぎしたのでは、これは税金の無駄遣いでもあるまいか。色々なところに捜索に入って、方々に迷惑を撒き散らしてもいるのではあるまいか。

ところが、そうした事はメディアには出てこない。メディアの情報源は検察側だから。今回の捜査劇でもそうだったが、メディアの多くの記事は噴飯ものだった。「関係者からの証言によると・・・」という全く事実の検証性のない情報を垂れ流し放題垂れ流した。私は今まで、もうちょっとましだと思っていたのだが、全く失望してしまった。日本の新聞の信憑性は、ゴシップ週刊誌と同じレベルだ。

読売新聞の記事
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100204-OYT1T00165.htm

負けた検察側からの最後のリークといった所なんだろうが、とても見苦しい。
何で検察が敗北した原因と、検察自身の問題点、欠陥を整理するような記事が出ないもんか。御用メディアにはしょせん無理な話なのだろうか。

一方郷原信郎という名城大の教授は、元秘書の石川議員が起訴されても、無罪になる可能性も示唆している。そもそも小沢氏の政治資金団体の収支報告で、小沢氏本人からの資金の出し入れの虚偽記載に悪質性を見出すことが無理ではないだろうか。検察は4億円という金額の多寡に悪質性があると言っているが、確かに4億円は巨額(少なくとも私にとって)ではあるけれど、それ自体に悪質性を見出すのは、金持ちは悪質という先入観にも似ている様に思われる。結局、時が過ぎてみたら、みんな無罪。無罪になった頃には、国民の誰もがこの事件を忘れている。

結局検察の効用は、ゴシップの垂れ流し。

郷原氏によれば、検察の体制も今や危機に瀕しているのだそうで、それは法曹官僚が検察庁を支配している実態が問題なのだとか。要するに世間知らずの専門バカの集団ってことね。

しかも検察庁が刑事司法を独占しているのだから、これは問題。今の検察庁の常識は一般人のそれとずれが生じて来ているのにも関わらず、この独占によって様々な弊害や機能低下を起こしているらしい。

ここに民主的な風穴を明けなければならないのは必然といえる。検察機構を監視、評価する第3者委員会とか、これを機会に検察にどんどん風穴を開けてもらいたいもんだ。日本もチェックアンドバランスの制度を発展させていかないと、いつまでも成熟した民主国家になれない。

プルゼニ(ピルスナービール発祥の地)

ドイツ語名称でピルゼン(Pilsen)という。ここがピルスナービール(Pilsner Bier)発祥の地。

火薬塔の番人

おどろおどろしい武器を持ってますね。しかし火薬を守るにはちょっと威力不足では???
実は昔風の番人の格好をした入場料の徴収人でした。火薬塔の上は登れるようになっていて、プラハ市街を眺めることが出来る様になっている。

2010/02/03

カフカの生家

壁しかないが・・・。カフカの両親は裕福なユダヤ人だった。彼はプラハ生まれのドイツ語作家だが、彼の作品は彼の死後に知られる様になったとの事。41歳の若さで生涯を閉じた。