2009/07/18

グリニッジの子午線

グリニッジにある旧天文台が世界の標準時間を決めたそうで、これがグリニッジ標準時。そしてここを基準として、地球の縦方向位置、すなわち経度が定められている。この基準線が子午線(Meridian)。この線より西が西半球で、東が東半球。グリニッジは0度に位置するので東経、西経ががない。グリニッジのスペルはGreenwichなのだが、どうして日本語表記がグリニッジになったんだろう??
まぁ、ヘップバーンが昔はヘボンだったから、多分初めて聞いた人が、そう聞こえたから、そうなっちゃったんだろうな。(17日訪問)
明日からアフリカ。イギリスではホテルに無線LANがあったので、更新できたけど。ナイジェリアでは難しいかも知れない。

絶景!セヴンシスターズ

標高差100数十メートルある白亜の断崖、セヴンシスターズ。ロンドンから2時間ほどの所にある。青い海と白い断崖のコントラストが絶妙。こんな素晴らしいところがイギリスにあるとは知らなかった。(16日訪問)

ロンドン

ロンドンのバッキンガム宮殿の衛兵交代式を見た。この日は市内の有名な建物を見物する。写真は宮殿を守る衛兵。ちゃんと銃を持っている。(15日訪問)

2009/07/14

PCが壊れました。さらに出張でご無沙汰いたします

今朝、突然PCが壊れました。目前で・・・。苦笑
CDブートが途中で途切れるので、HDクラッシュというよりは、パワーサプライ、あるいはマザーボード上の不具合と思われます。いずれにしても、メインで使っていたPCなので旅行記も暫くアップできません。その上、明日より26日まで仕事でアフリカに行きます。多分ネットできることも少ないと思いますので、ブログも暫くお休みになると思います。
首尾よくアフリカから生還しましたら、またよろしくお願いいたします。

2009/07/13

これから日記でスイス旅行-ステルヴィオ峠

ジュス
ウンターエンガディンのゲートシティなのだが、こじんまりとした町。というか村?

光を浴びて

渓谷の木々が輝いている。

2009/07/11

血統、民族主義

日本は血統を重んじる国などと、日本純血主義の人が嘯いたりしている。私はそんなことはないと思っているし、日本人という民族の構成が北から、南からと色々な民族がやってきて混ざり合った上の結果だ。

血筋というものがあって、親の持つ能力が子に遺伝する。こうした事はあるだろうが、ヨーロッパの王族であったように、濃い血の継承は様々な弊害を生む。人間は生物的にも、広く交わって様々な可能性、多様性を得て行くことこそ望ましく、それが人の繁栄を約束するものだ。

伝統文化や伝統芸能もいいかも知れない。しかしこれも、進歩的なものが存在するからこそ、対比的に輝くのであって、伝統しか存在しなければ、中世の閉塞した世界に逆戻りだ。伝統も、文化の中の多様性の一つとして尊重されるべきもであって、それ以上でもそれ以下でもない。

血統を重んじる事は無意味だ。人が存在価値を発揮するのは、単に遺伝的な要因ではない。実際の行動と努力、そして鍛錬の賜物だ。

これと同じく、どこの国でも民族主義者というのがいて、例えば「スイスはスイス人の国、外国人は出て行け!」と叫んだりしている。そもそもスイスという国は、食料も自給自足できない国で、外国との貿易なくして成り立たない。「外国人は出て行け!」とは「この国をもっと貧しくしろ!」と言っているに過ぎない。この環境は日本にもいえる。また、世界各国が多かれ少なかれ、同じ様な、国際関係を必要とする環境にある。

こうした民族主義の背景に、○○人という、本人の資質と努力とは無関係に成り立つ要因で、他者と差別化を図ろうという試みが伺われる。これは甚だ安直だ。スイスでもこの様な安直にすがりつく人間がいるが、日本にも多いようだ。閉塞した社会への不満のはけ口として、民族主義が利用される。
私は血統重視とも、民族主義とも相容れない。

美しい渓谷、スーザスカ

初秋だったので、森が黄色に染まり始めていた

スーザスカ川

エンガディンだけに、名前がロマンシュ語(スイスの公用語のひとつで、話す人はスイス人工の1%程)。

2009/07/10

臓器移植法改正について

衆議院で通過した臓器移植法改正法案が13日に採択される。この法案が通過すると、臓器移植が日本でも行われやすくなるという。反面、脳死を人の死と認める事に批判的な意見もある。脳死の定義においてはもはや蘇生はありえず、脳死した人は生命維持装置で脳以外の人体の機能的な動作は維持されている。しかし、脳は既に壊死しており、その人は考えることも、夢見ることも、意識を取り戻すことも二度とない。

脳死した人が蘇生したという話しもあるが、これは脳死判定が甘く、本来の脳死の定義に準じたものではなかったそうだ。脳死の定義では、蘇生はありえない、しかしその脳死を判定する医師が判定を誤ることはありえる。この臓器移植法改正がなされると、脳死判定の誤診による医療事故が起こる可能性が出る、ということも否めない。

臓器移植を待ちつつ、死んでいく患者も多々いる。現在の臓器移植法は、これらの人々を見殺しにしている。また、運良くアメリカで臓器移植が出来ても、その費用は莫大な額だ。一説によると、日本人が簡単にアメリカで臓器移植が出来ない様に、莫大な額を設定しているのだそうだ。しかし、これを日本は批判できないだろう。日本では実質的に臓器移植が禁止されているのだから。

脳死した人を見守っている家族も不安があるという。この臓器移植法が脳死を人の死としてしまうと、何年も見守っていた大切な人に、死を宣告されてしまう。そういう心理的なストレスもさることながら、死んだ人間をいつまでも生命機能維持させておくのは如何なものか、といった様な批判を受けないとも限らない。悪意ある陰口が家族を苦しめる、といったことも懸念される。

また、この法改正がきっかけとなって、脳死判定された患者への医療体制、医療保険の扱いが脳死患者を見守る家族に対して不利になって行くのではないか、という不安もあるだろう。植物人間となった人でも、生命維持がなされれば成長していく。確かに植物的な成長かも知れないが、それはその人なりの生き方をしているという見方も成り立つだろう。家族の愛を体で感じ、その人はやがて幸福のうちに天に召されるかも知れない。そうした人としての大切な行為は何よりも大切だし、尊重されなければならない。

この様な懸念や不安から、脳死患者を見守る人たちの側から法改正に反対する人たちがいるということは自然だと思う。こうした人たちの懸念や不安を十分に考慮する必要があり、法改正がこうした事の実現につながるような事になってはならない。

とはいえ、今回の法改正自体が、この不安や懸念を誘発しているわけではなく、あくまでも「きっかけ」の候補となる、ということだと思う。この議員立法が提出されてから4年も過ぎ、その間にも臓器移植を待ちつつ死んで行った人もいる。こうした現状を考えると、やはりこの臓器移植法改正は必要ではないかと考える。ただし、脳死患者を見守る家族に対する偏見を誘発するような風潮の防止や家族の心情を尊重した上での説明の徹底、生命維持に対する十分な保護の継続などの措置も同時に進められるべきと考える。

山腹にハリモミの森

だと思うのだが・・・植物に詳しくない。森林限界まで続いてはいる。

エンガディンの山々

清清しい朝の表情を見せている

2009/07/09

霧が晴れて来た

あるいは雲が去って行った。谷間の朝霧が去って行くのを山の上から見ていた、ということなのかも知れない。

すっとこれは雲か霧か???

一応空中を漂っているが・・・・。雲海の下から眺めると、悩ましい。

2009/07/07

雲の下に道が見える

雲の高さのレベルまで下ると、雲の下に道が見えてくる

雲海・縦バージョン

飛んでいる様な感じもしなくはない。

2009/07/05

雲海

なかなか幽玄な感じがする*

峠は雲の上だった

谷には雲がかかっていて、峠はちょうど雲の上になっていた

2009/07/04

峠を越えるとエンガディンの谷

エンガディンの谷は、上下にわかれていて、こちらは下エンガディンと言われている。フリューエラ峠の下の町、ジュスから上がOberengadin(上エンガディン)で、下がUnterengadin(下エンガディン)となっている。

オスピス側からさらにもう一度

湖の上を歩けそうな気になる。

2009/07/03

しつこく鏡の湖

驚くべき反射なのだが、実物はもっとすごい。

シュヴァルツゼーの見事な鏡の景色

これを見るためだけにこの湖を訪れる価値さえある。

フリューエラ峠のオスピス

やはりあるオスピス。スイスの峠にはオスピスがつきものだが、経営が成り立つのだろうか???不思議。流石に道路が閉鎖される冬場は閉館なのだろうが。

どちらが湖だか???

さかさまにしてみてもわからないくらいだ

2009/07/01

鏡の湖

シュヴァルツゼー、こんなに明瞭な鏡の湖を見た事がない。

フリューエラ峠(2383m)

この峠には2つの湖があるが、道から見えるのが黒湖(シュバルツゼー)。この湖、透明度が抜群で、しかも鏡の様に風景を映し出す。

アルプの教会

人々の生活は谷の中にある。アルプスの少女ハイジの村に相応しいような所。

場所は戻って再びグラウビュンデン

ダヴォスに向う道