2009/12/31

お正月はお休みです

今かけゆ温泉におります。近くの交流館でネットをお借りしていたのですが、3が日はお休みという事でブログへの投稿もお休みです。皆さん、良いお年を。

二重の鉄条網

ここには高圧電流が流れていた。触れれば感電死。ビルケナウの第二収容所は1重の鉄条網なので、第一収容所の方が厳重だ。こちらの方には捕虜の兵士なども収容したからだろう。もともと第一収容所はポーランド兵の捕虜のために作られた。

再現された毒ガス室

部屋に入ると服を脱がされ、シャワー室と呼ばれる所に押し込まれる。シャワー室では水の代わりに毒ガスのシャワーが注がれる。左の煙突は殺した人々を焼却するための煙突。

2009/12/30

いくつもの収容棟

しかし、囚人はヨーロッパ中から送られて来て、とてもこれだけでは収容しきれず、次々に殺されて行った。

死の管理棟

前述した裁判、拷問、処刑が行われた棟。銃殺ならまだ楽な方で、飢え死に、立たせ続けて殺すという立殺し、換気の悪い部屋に押し込めての窒息死、などが行われていた。ここの地下牢11号室で初めて、チクロンBという毒ガスでの処刑実験が行われた。その成功によって、以降ア
ウシュビッツでの毒ガスによる虐殺が始まった。最初に犠牲になったのはロシア兵だった。

2009/12/28

死の壁

中央の灰色の壁がそう呼ばれる。ここで銃殺刑が行われたそうだ。写真右の建物はナチのSSによって囚人の拷問や処刑・裁判が行われた建物、左は収容棟で、収容棟からは銃殺の光景が見られないように目張りがしてある。処刑者は写真左手前の地下牢階段から素っ裸で連れ出され、死
の壁の前で銃殺されたとの事。地下牢からほんの一時日を浴びて世を去った。

やって来ましたアウシュビッツ絶滅収容所

アウシュビッツとはドイツ人がつけた名前で、この収容所はオシフィエンチムという町にある。8月9月は訪問者が多いため、全ての訪問者がガイドツアーに参加しなければならない。33ズオチだった。1200円くらいか。なお、日本語のガイドはない。英語のを取った。

2009/12/27

可愛くて思わず撮ってしまった

横のおやじはごつかった。とても撮影には耐えられない。どうして、こんなごつい親父から、こんな可憐な少女が生まれるのだろうか・・・。この子達は、彼の宝物に違いない。私も娘が欲しかった・・・な。

大学脇にたむろする若者

ヤギェウォ大学の学生なんだか、単なる修学旅行の学生何だか不明。ポーランドはスラブの血も混じるので、スイス人とは顔つきが少々異なる様だ。

2009/12/26

ヤギェウォ大学とコペルニクスの像

ポーランド最古の大学。中欧ではプラハのカレル大学に次いで2番目に古い。かのコペルニクスがここで学んだ。先の法王ヨハネパウロ2世もこの大学を出たとのことで、大学広場にはヨハネパウロ2世にまつわる展示が設けられていた。

バルバカン

円形の防塁で、かつて町を守った。今ではこの様な防塁はヨーロッパで3カ所しか残っておらず、バルバカンはその中でも最大だそうだ。

2009/12/25

四十にして迷わず

孔子様のお言葉で、自分の年齢に照らし合わせるとこれが当たる。ところが、この四十にして迷わずというのは、なかなかその心境に至らなかった。我四十にして迷ってばかり。

それに転機がやってきたようだ。はじまりは今年の春からの自分の仕事の業績悪化からだった。リーマンショックや新型インフルエンザなどの影響で、今まで続いていた仕事が軒並みキャンセルとなり、借りていた作業場の維持すら難しくなった。作業場を解約し、新たなる仕事を見つけざる得なくなってしまった。

これは明らかに事業の失敗だ。この決断を受け入れるのは大変な負担だった。しかも次の仕事もまだ見えていない。この先に深い霧がかかっている、道しるべもなく、もしかしたら行き止まりに断崖だけが待っているかもしれない。自分が情けなく思え、そして不安が襲った。

その時、この霧の中の道を歩む事が出来たのは、人間裸になってまで失うものなく、大切なことは今を歩む意思だと思ったことだ。富を積むこと、確かにそれは出来るに越したことはないが、その富を崩さなければならない時もある。富を積む時がいいことで、富を崩す時が悪いこと、そんな事は問題ではなく、今を精いっぱい生きていくこと、悪い結果に悔いを持たないこと。たとえ道半ばで倒れても、悔いのない人生だったと思えること、それが大切だと思った。

そしてやれることをやってきた。今年を振り返ると、今までの様にはいかなかったけれど、なんとか自分のできる仕事をこなして来たし、売り上げは減少したけれど、利益から言うと昨年を上回る利益となった。また、来年の仕事の道筋が、おぼろげにも見えてきた。深い霧は消えかかっている。

人の意見を受け入れることも大切だけれども、それで自分が揺らいでは何もならない。状況の悪い時は揺らぎやすいというのも身にしみた。特に自営になれば、保証は何もないのだから、いつもが背水の陣だ。そうした生き方に空恐ろしさを覚えたけれど、逆に身震いも感じた。生きていることを実感したのだ。厳しい時こそ、生きていることを実感するのかも知れない。

こうした時間を過ごして来たら、今の自分の生き方、考え方に迷いがなくなった。それが最上とはいえないかも知れないが、例え最上の選択が出来なかったにしても、自分自身でいられること、自分の道を歩むことの方が一番大切だ。もうこれから自分の道を逸れることもないだろうし、歩みを止めることもないだろう。それに、この道の指針は、自分を信じ、自分のできる事を精いっぱいやりとおす、という極めて単純なものなのだ。

四十にして迷わず、やっとその心境になってきた。
次には、天命を知る、だが、これはこれでだいぶ先になりそうだ。

フロリアンスカ門とフロリアンスカ通り

かつてはこの門がクラクフの入り口で、町の周囲に城壁が張り巡らされていた。フロリアンスカ通りはクラクフの目抜き通り。

聖マリア教会と中央市場広場

1222年建立のこの教会は、モンゴル軍の侵略も見てきている。ここまでやって来たのね、アジアの同胞が。中央市場広場は中世に作られた広場としてはヨーロッパ最大とのこと。

2009/12/24

署名のご協力ありがとうございました。請願提出ならびに陳情報告です。

みなさん、こんにちは。
日頃複国籍の容認を求める請願等にご理解とご協力を頂き、大変感謝しております。
去る10月26日、27日に国会陳情、請願提出並びに法務大臣陳情を行いましたのでここにご報告致します。
10月26日には
衆議院
・土肥隆一議員
・佐々木隆博議員
・黒岩たかひろ議員
・神山洋介議員
参議院
・ツルネン マルティ議員
・浜四津敏子議員
10月27日には
法務省
・千葉景子法務大臣
衆議院
・河野太郎議員
・藤田一枝議員
参議院
・前川きよしげ議員
と陳情並びに請願書の提出を行って来ました。
法務大臣を除くすべての議員には複国籍の容認を求める請願書を提出しました。ただし、河野太郎議員には国籍選択制度の見直しを求める請願書を受けてもらいました。これは遅れて署名が来たものを渡しました。土肥、前川議員には加えてJ-VISの廃止を求める請願書を提出しました。
法務大臣には複国籍、J-VIS両方について陳情書を提出いたしました。法務大臣は国会請願を受ける立場にあるため、こちらには請願を提出できません。
法務大臣は私たちの陳情に対して大変な理解を示され、なんとかしていきたいとの意思を示されました。しかし、厳しいものがあり、すぐに法改正まで行きにくいというのも現実だとの認識を示されました。
河野太郎議員はこの点について、複国籍の容認を求める人々の要望には、個人的な問題を解決して欲しいというような、「自分だけ得をしたい」という事だけしか伝わって来ない。この点について、もっと公共性のある問題だということを強調していかないといけないし、そうしないと多くの国会議員も動かないだろうとの認識を示されました。
これには反論もあるのですが、まだまだ容認を求める側の努力が足らず、社会の中でも表立って見えてこないのも事実です。この点については千葉大臣も、もう少しがんばってもらいたいという事をさらっとではありましたが、同じ認識を示されました。
民主党が政権党になって、確かに政権側からの理解を得られるようになりましたが、かといってすぐに法改正まで行くのかは、不透明なままだと感じました。しかしながら、法務大臣の陳情も出来るようになったのも事実ですから、この機会にもっと圧力をかけたいと思います。そのためには、個人のお願いという観点に加え、公共性という観点からのアプローチを工夫する必要があると思います。
今回集約できた署名数は以下の通りです
複国籍の容認を求める請願 5352筆
J-VISの廃止を求める請願 1227筆
複国籍の容認を求める請願の署名数が5000筆を突破しました。これは大変うれしい事です。次回はもっと増えてくれればいいと思います。

写真は、千葉景子法務大臣に陳情訪問した際のもの。中央に千葉大臣、左に司法書士の鍵谷さん、右がのり。



2009/12/23

旧市庁舎の塔

中央市場広場に燦然と輝く塔。これだけ残されたそうだが、ここに旧市庁舎があったとのこと。

ドミニカン教会

教会の屋根の作りが中欧を感じさせる。

2009/12/20

明日の朝には日本です

こちらの時間で午後1時の飛行機に乗り、明日の朝9時頃には成田です。
まずは白河に出没します。年末年始を日本で迎えるのは久しぶりです。

クラクフのトラム

なかなか風格を感じる路面電車だ。

グロヅカ通り

クラクフで最も古い家並みが残っている通り。

2009/12/18

クラクフ、ヴァヴェル城

ポーランドが王国だった頃は、ここが首都でこのヴァヴェル城が王宮だったそうだ。クラクフはポーランドの古都。しかも大戦で破壊を免れたから、昔ながらの姿を今も伝えている。

ポーランドは真っ平ら

こんな平原がどこまでも続く。ポーランドは東の穀倉地帯。8月になると、小麦が実り、大地は黄金色に染まる。

2009/12/17

ローザンヌ・クリスマス夜景2

ローザンヌのクリスマス夜景、道路編です
写真撮った日はまだ、熱いワインを飲めば、まだ外をうろうろする気があったけれど、今は夜外に出る気がしない。

2009/12/16

スイスに戻る

ついに戻ってきました、スイス。中央の川がライン川で、左岸がドイツ、右岸がスイス。こんな所でも、スイスがドイツに比べて田舎、というのが見て取れる。

シュバルツヴァルド

写真左の河川がライン川で、河川左がフランス。右がドイツ。ドイツのシュバルツヴァルドがライン川のすぐ近くまで迫っている。

2009/12/15

ヨーロッパに戻る

飛行機の中でフライト地図を撮影。ドーバーを過ぎて、今ユーラシアに入った。あのアフリカのカオスの生活ともおさらばだ。

逆走するバイク

平気で逆走してくる。この集団から見て、バイクはどこを走ってもいいようだ。無論、自己責任だろうけれど。

2009/12/13

ローザンヌのクリスマス夜景

Jeffさんのご要望にお応えして、今働いているローザンヌのクリスマス夜景です。クリスマスツリーのある建物は、ローザンヌ・パレスホテル。ここでこの間、手打ち蕎麦・うどんのイベントをやりました。広場の写真はクリスマスマーケット。8時過ぎると店じまいしてしまって、バーしか開いていない。ここで飲んだ暖かいワイン、ヴァン・ショーはうまかった。お城みたいのは大聖堂。ローザンヌはかつて大司教がいて、一帯を支配していたとあって、流石に荘厳。

2009/12/11

休憩

ゲストハウスに戻って、つかの間のリゾート気分

渋滞の風景

集落のある道路では必ず渋滞する。しかも道路はぼこぼこ。3分の1は舗装がはげている。これじゃ、渋滞しないわけがない。

2009/12/10

村の広場

沢山バスが停まっている。その後ろに続くのは掘っ立て小屋。

パラソル露天商

生活必需品は何でもここで揃う。お日様に十分あてられた食パンはきっと美味しいに違いない。え?ぱさぱさ??

2009/12/09

住宅街の道

ここは比較的高級の住宅街。車も質のいいのがとまっている。第一掘っ立て小屋がない。ゴミ拾いしているおっさんが余計だが・・・。

村の道

もうでこぼこ。水溜まりもあちこちに出来ている。ここに車とバイクと歩行者と露店と、ひしめき合っている。

2009/12/06

教会だそうです

プロテスタントでした。旧英国植民地だけあって、キリスト教もプロテスタントのよう。しかし、なかなかこれが教会には見えない。二階に牧師さんが住んでいるのだろうか。

ゴールデン・クラウン

レストランの名前。金の王冠という意味。そもそもこれがレストランには見えないのだが・・・・・。なんか、もんじゃ焼きでもやってそうだ。(子供の頃を思い出して、ノスタルジーに浸る)

ベルン寒し!

スイスに到着した。久しぶりのスイス。6年も住むと、スイスに戻った、という気がする。成田発のチューリッヒ行きの飛行機で偶然友人をみかけたのにはびっくり。映画を見まくってチューリッヒに到着。今回のフライトは雲が多くてそんなに景色を楽しめなかった。流石にスイスは寒い。防寒ジャケットのジッパーを上げる。ベルン市内には雪がなかったが、郊外の私の家の周りは雪が残っている。午前8時になってようやく明るくなる。12月はクリスマスの電飾で町が飾られるので、それでも気分はちょっと上向く。明日からはローザンヌだ。ローザンヌはベルンより暖かいので、ちょっとうれしい。笑

2009/12/05

しばらくローザンヌです

今日日本を離れます
しばらくローザンヌでうどん打ちプロジェクトをやってきます。といっても2週間ほどですが、それで21日にまた日本に戻り、年末年始は日本で過ごします。7年ぶりで迎える日本の正月でっす。
12月23日から27日と1月5日から7日までは桐生のお店でお手伝いをしているので、時間のある人は遊びに来てね。なお、営業時間は午後5時から11時です。お店の詳細は
http://motutei.umai.ch
お知り合いの方には、のりさんお勧めのワインをサービスしまっす。

空港近くの道路

空港近くだけは良く整備されていた。最も一般市民には空港なんて縁のない所だろうから、傷みもないのだろうけれど。街路灯もある。一般家庭には3日間で6時間しか電気が来ないというのに、空港近辺には街路灯だ。

比較的閑静な住宅街

きっと中流階級の皆様の住む住宅街なんだと思う。

2009/12/04

トウモロコシはいかがですかぁ

いやこれはうまそうだった。ちゃんと熱加工されているから安心だろうし。でも、何で味付けているのだろう?
後ろのバンは乗り合いバスなんだそうだが、べこべこでナンバーなし。まさか、これ走るの?

露店肉屋

活きは最高でっせ! 縛ったばかり。

2009/12/02

ただ、それが豊かさといえるかは・・・

頭に荷物を乗せて歩く人、おいおい、バイクのお兄ちゃん、彼女にヘルメットかぶせてやれば?だ。

果物や野菜が並ぶ

それでも、流石熱帯地方だけあって、果物や野菜は豊富みたいだ。

2009/11/30

天国と地獄

こちらはネスレ・ゲストハウスの壁の外。掘っ立て小屋が並んでいる。

熱帯樹に囲まれたヴィラ

冷暖房完備、三食ビール付き、申し分ないリゾートホテルだ。

ナイジェリア、リゾート気分

夜着いたので、写真を撮れなかった。朝起きてみると、そこはリゾートだった。

ビジネスクラス!

ジャンボの2階席はビジネスクラスだったので、コクピットの撮影が出来た訳だが・・・。久しぶりだ、ビジネスクラス。

2009/11/29

コクピットが開いていたので、一枚

飛行機も全自動が当たり前の世の中かなぁ、と思いきや、見よこの計器とスイッチの塊。これじゃなんか墜落事故があっても当たり前というか・・・、少しばかり首筋が寒くなる。

ナイジェリアには英国航空で飛ぶ

今日からナイジェリア・シリーズです

スイスからロンドン経由のナイジェリア行きを選んだので英国航空になった。写真の飛行機が私をアフリカに運んでくれた。ジャンボだ。