血筋というものがあって、親の持つ能力が子に遺伝する。こうした事はあるだろうが、ヨーロッパの王族であったように、濃い血の継承は様々な弊害を生む。人間は生物的にも、広く交わって様々な可能性、多様性を得て行くことこそ望ましく、それが人の繁栄を約束するものだ。
伝統文化や伝統芸能もいいかも知れない。しかしこれも、進歩的なものが存在するからこそ、対比的に輝くのであって、伝統しか存在しなければ、中世の閉塞した世界に逆戻りだ。伝統も、文化の中の多様性の一つとして尊重されるべきもであって、それ以上でもそれ以下でもない。
血統を重んじる事は無意味だ。人が存在価値を発揮するのは、単に遺伝的な要因ではない。実際の行動と努力、そして鍛錬の賜物だ。
これと同じく、どこの国でも民族主義者というのがいて、例えば「スイスはスイス人の国、外国人は出て行け!」と叫んだりしている。そもそもスイスという国は、食料も自給自足できない国で、外国との貿易なくして成り立たない。「外国人は出て行け!」とは「この国をもっと貧しくしろ!」と言っているに過ぎない。この環境は日本にもいえる。また、世界各国が多かれ少なかれ、同じ様な、国際関係を必要とする環境にある。
こうした民族主義の背景に、○○人という、本人の資質と努力とは無関係に成り立つ要因で、他者と差別化を図ろうという試みが伺われる。これは甚だ安直だ。スイスでもこの様な安直にすがりつく人間がいるが、日本にも多いようだ。閉塞した社会への不満のはけ口として、民族主義が利用される。
私は血統重視とも、民族主義とも相容れない。
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