2010/02/14

アメリカの銃乱射事件からつらつら

アメリカの銃乱射事件が最近もあって、なんとその犯人が女性の大学教授であったというので大変驚いた。知性の最高峰の職業ともいえる大学教授が銃乱射とは、しかも女性がという点で、何かアメリカ社会の内部矛盾の深刻性を垣間見る気がする。

今まで、銃規制の緩やかなアメリカだから、銃乱射事件などが起きると思っていたが、それは多分違うんじゃないかと思うようになった。殺人に使う銃は道具であるが、人を殺す道具は銃に限らない。殺人をしたければ、何だって凶器になりうるだろう。むしろ、人を殺人者に追い込んで行く何かが、アメリカにあるのだと思う。

銃所有率から行くと、アメリカをも抜いてスイスは世界一なのだそうだ。しかし、アメリカよりは殺人発生率は低い。何せ国民皆兵で、兵役のある男子は自宅に銃の保管が義務付けられている。国民に銃を所有させるが、その扱いの心構えまで兵役で教えるから、むしろ銃を用いた犯罪に歯止めがかかっている、という説もある。

実はスイスの殺人発生率は隣国と比べ突出して高い。これと銃の所有率の高さには関係があると主張する研究者もいる。しかし、反論もあって、例えば外国人説などで、外国人の占める殺人事件の割合が55%もあるという。また、スイスの殺人事件の60%は家庭内殺人で、銃殺より絞殺が一番多いという。都市部の犯罪発生率が突出して高く、人口が少ない割には国際都市の多いスイスの構造的な問題だとか、色々言われている。例えば、ジュネーブの犯罪発生率はスイス平均の4倍弱にもなっている。因みに最も多い犯罪は窃盗だ。

アメリカの場合はどうなんだろう。移民社会という、比較的緩やかなつながりの上に成り立っている国。自由、平等という素晴らしい理想はあるが、経済合理性だけで能力を判断され、人はいつも過度なストレスに晒されていると聞く。自由、平等の元に拡大する貧富の格差、そうした捻じれと関係はないものなのだろうか。

アメリカの人口10万人当たりの年間殺人発生率は5.9件(2004年)と高く、これを人口とかけて、1日当たりの殺人件数を計算すると、なんと51件にもなる。これは深刻な問題ではないだろうか。他国に民主主義を押し付けて戦争などやっている場合ではない。もしかしたら、そうした治安悪化を招いている深刻な社会問題を隠蔽するために他国へ戦争をしかけて、そちらに目をそらさせているのではないだろか、などの陰謀論もちらほら頭をよぎる。

資料【人口10万人当たりの殺人発生率(2004)】
国名    殺人発率 年間計算 1日平均

日本     0.5    637    1.74
スイス    2.9    220    0.60
リヒテンシュタイン2.9   1    0.003
アメリカ   5.9   18567    50.87
イタリア   1.2    719    1.97
フランス   1.6    1026    2.81
ドイツ    1.0    822    2.25
オーストリア 0.8     67    0.18

ヨーロッパの近隣諸国と比較して突出して殺人発生率の高いスイスだが、1日に0.6件しか発生していない。人口が少ないので、率が高めに計算される様だ。その顕著な例がリヒテンシュタインで、人口が3万5千人しかいないので、年間1件しか発生しない殺人事件で、殺人発生率がスイス並みに2.9件となってしまう。ヨーロッパ各国でも1日2件程度は殺人事件が勃発しているようだが、オーストリアはかなり優秀だ。

これを見ると、日本の殺人発生率が一番低い。私の引用した資料では、世界で一番殺人発生率が低かった。フランスやドイツと比較しても、半分か3分の1の割合だ。殺人発生率から行くと日本は世界一安全な国になる。しかし日本人はみんな、日本は治安が悪くなったと思っている。

あまりにも平和な日本は、不景気になってもそう犯罪は増加しない。凶悪犯罪の件数も年々減少している。しかし、あまりにも平和ゆえに、他にネタもないので、日本のメディアは殺人事件を毎日のように報道している。人口の多い日本は、殺人発生率が少なくても、1日に2件近くは殺人事件が発生する計算になるので、メディアも毎日報道出来るわけだ。
日本は治安が悪化しているなどと怯えたり、自虐的になっていると、監視カメラなど必要以上の防犯設備を作り出し、いたずらにセキュリティ会社を儲けさせるだけだし、それが産業として確立すれば、会社発展の原理によって、世の中は常に危ないというプロパガンダが流される。その先は、警察やセキュリティ会社が幅を利かせる監視社会だ。実際にセキュリティ会社の株価は上がる一方だという。

日本が今実現している、犯罪の少ない安全な社会というのは、実は日本人が日頃気付かない、自分たちの道徳心なり倫理観からもたらされていて、とても単純な事なのではないだろうか。お天道様に恥じない行いをしなければならない。誰が見ていなくても、お天道様は見ている。この様な極めて高潔な倫理観を皆が習得しているので、犯罪も他国と比較して少ない。これは大変誇るべき事なのだと思う。

危ない、危ないと心配して、監視社会を作ろうなどと考えずに、まずは自分たちの倫理観に自信を持って、さらにこれを広めたり、実践を怠っている所ではこれを支援したりする努力の方がよほど大切に思えてならない。それにこれは、自分の行い一つで社会が良くなるとても簡単な方法だ。

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