アルザス地方の中心都市。ローマ人が築く。その後フランク族が支配し、フランク族が3分したときに、東の神聖ローマ帝国領になった。当時はドイツ名でシュトラスブルグ。もっともフランス語名のStrasbourgをそのままドイツ語読みしてもシュトラスブルグになる。ドイツ語ではStrassburgとなり、Strasseが通り、Burgが城という意味から、シュトラスブルグは「街道の城」といった意味になる。因みにフランス語のBourgは街という意味となり、フランス語からすると「街道の街」となる。いずれにしても交通の要衝だったことがわかる。
中世のヨーロッパの都市は城壁に囲まれた城塞都市の形を取っているから、城と街は渾然一体だったのだろう。ドイツ語ではそれを城としての意味合いで捉え、フランス語では街としての意味合いで捉えているのが興味深い。
今はフランス領だが、この地方はフランスとドイツを行ったり来たりしている。しかし、その昔はフランスもドイツもフランク族支配の国だったわけだ。そんなわけで、ヨーロッパの象徴の様な町としてここにはEU議会が設置されている。
昔はストラスブール、コールマール、ミュールーズ、バーゼル、以上の4つの帝国自由都市をアルザス4都市と呼んた。ミュールーズはスイスと一時同盟関係にあったが、後にフランスに帰属した。バーゼルはスイスに帰属した。アルザスはスイスにとって、バーゼルがアルザスの一都市だった様に隣接する地理的に重要な地方で、同盟関係にあったり政治的にも密接に関係していた。
2010/02/26
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