2009/07/18
グリニッジの子午線
まぁ、ヘップバーンが昔はヘボンだったから、多分初めて聞いた人が、そう聞こえたから、そうなっちゃったんだろうな。(17日訪問)
明日からアフリカ。イギリスではホテルに無線LANがあったので、更新できたけど。ナイジェリアでは難しいかも知れない。
絶景!セヴンシスターズ
2009/07/14
PCが壊れました。さらに出張でご無沙汰いたします
CDブートが途中で途切れるので、HDクラッシュというよりは、パワーサプライ、あるいはマザーボード上の不具合と思われます。いずれにしても、メインで使っていたPCなので旅行記も暫くアップできません。その上、明日より26日まで仕事でアフリカに行きます。多分ネットできることも少ないと思いますので、ブログも暫くお休みになると思います。
首尾よくアフリカから生還しましたら、またよろしくお願いいたします。
2009/07/13
2009/07/11
血統、民族主義
血筋というものがあって、親の持つ能力が子に遺伝する。こうした事はあるだろうが、ヨーロッパの王族であったように、濃い血の継承は様々な弊害を生む。人間は生物的にも、広く交わって様々な可能性、多様性を得て行くことこそ望ましく、それが人の繁栄を約束するものだ。
伝統文化や伝統芸能もいいかも知れない。しかしこれも、進歩的なものが存在するからこそ、対比的に輝くのであって、伝統しか存在しなければ、中世の閉塞した世界に逆戻りだ。伝統も、文化の中の多様性の一つとして尊重されるべきもであって、それ以上でもそれ以下でもない。
血統を重んじる事は無意味だ。人が存在価値を発揮するのは、単に遺伝的な要因ではない。実際の行動と努力、そして鍛錬の賜物だ。
これと同じく、どこの国でも民族主義者というのがいて、例えば「スイスはスイス人の国、外国人は出て行け!」と叫んだりしている。そもそもスイスという国は、食料も自給自足できない国で、外国との貿易なくして成り立たない。「外国人は出て行け!」とは「この国をもっと貧しくしろ!」と言っているに過ぎない。この環境は日本にもいえる。また、世界各国が多かれ少なかれ、同じ様な、国際関係を必要とする環境にある。
こうした民族主義の背景に、○○人という、本人の資質と努力とは無関係に成り立つ要因で、他者と差別化を図ろうという試みが伺われる。これは甚だ安直だ。スイスでもこの様な安直にすがりつく人間がいるが、日本にも多いようだ。閉塞した社会への不満のはけ口として、民族主義が利用される。
私は血統重視とも、民族主義とも相容れない。
2009/07/10
臓器移植法改正について
脳死した人が蘇生したという話しもあるが、これは脳死判定が甘く、本来の脳死の定義に準じたものではなかったそうだ。脳死の定義では、蘇生はありえない、しかしその脳死を判定する医師が判定を誤ることはありえる。この臓器移植法改正がなされると、脳死判定の誤診による医療事故が起こる可能性が出る、ということも否めない。
臓器移植を待ちつつ、死んでいく患者も多々いる。現在の臓器移植法は、これらの人々を見殺しにしている。また、運良くアメリカで臓器移植が出来ても、その費用は莫大な額だ。一説によると、日本人が簡単にアメリカで臓器移植が出来ない様に、莫大な額を設定しているのだそうだ。しかし、これを日本は批判できないだろう。日本では実質的に臓器移植が禁止されているのだから。
脳死した人を見守っている家族も不安があるという。この臓器移植法が脳死を人の死としてしまうと、何年も見守っていた大切な人に、死を宣告されてしまう。そういう心理的なストレスもさることながら、死んだ人間をいつまでも生命機能維持させておくのは如何なものか、といった様な批判を受けないとも限らない。悪意ある陰口が家族を苦しめる、といったことも懸念される。
また、この法改正がきっかけとなって、脳死判定された患者への医療体制、医療保険の扱いが脳死患者を見守る家族に対して不利になって行くのではないか、という不安もあるだろう。植物人間となった人でも、生命維持がなされれば成長していく。確かに植物的な成長かも知れないが、それはその人なりの生き方をしているという見方も成り立つだろう。家族の愛を体で感じ、その人はやがて幸福のうちに天に召されるかも知れない。そうした人としての大切な行為は何よりも大切だし、尊重されなければならない。
この様な懸念や不安から、脳死患者を見守る人たちの側から法改正に反対する人たちがいるということは自然だと思う。こうした人たちの懸念や不安を十分に考慮する必要があり、法改正がこうした事の実現につながるような事になってはならない。
とはいえ、今回の法改正自体が、この不安や懸念を誘発しているわけではなく、あくまでも「きっかけ」の候補となる、ということだと思う。この議員立法が提出されてから4年も過ぎ、その間にも臓器移植を待ちつつ死んで行った人もいる。こうした現状を考えると、やはりこの臓器移植法改正は必要ではないかと考える。ただし、脳死患者を見守る家族に対する偏見を誘発するような風潮の防止や家族の心情を尊重した上での説明の徹底、生命維持に対する十分な保護の継続などの措置も同時に進められるべきと考える。