2010/07/18

宮崎の口蹄疫による刹処分は行き過ぎでは?

宮崎県で発生した口蹄疫では、発症した牛や豚の他に、明らかに健康である牛や豚が大量に刹処分された。日本の法律がそうなっているからで、結果的に法律を守るために、多くの家畜が犠牲になったとも言える。

しかし、法律が必ずしも正しいとは限らない。口蹄疫の刹処分は1940年頃から始まったらしい。しかし、刹処分の有効性は証明されたものではない。口蹄疫の封じ込めは不可能と言われている。すなわち、大量に家畜を殺しても、完全な封じ込めは約束されていない。

口蹄疫の死亡率は、成体の牛ではそんなに高くなく、治癒するという。

口蹄疫になった牛は痩せて商品価値を失くすとされているが、口蹄疫を治癒し、回復させて品評会で優勝させたなどの例がイギリスにある。

今回宮崎の種牛を国が強制的に刹処分にさせたけれど、結果的にいえば、感染防止にも役立たず、経済損失を生んでいるだけと言える。現行の刹処分はその効果が評価されていない一方で、感染が拡大した場合、処分による甚大な損失が発生する、かなり不適切なものだ。

国民の多くは、法律が定めていることには有意性があるから、みんな従うべき、という暗黙の了解からこの件を承認しているだろうけれど、その法律が不適切であったらどうだろう?いたずらに法に従わせるのではなく、今回の甚大な被害を考慮して、法律そのものを適時に、適切に、変更させていくべきではないだろうか。

http://www.abc.net.au/rural/news/stories/s284276.htm
によれば、イギリスは2001年より、刹処分を緩和して、牛に関しては獣医が刹処分の判断を下す事が出来るようになっている。

マスコミの報道は刹処分肯定一色で、何やら空恐ろしさを感じる。メディアも大量の家畜の殺戮に加担している、ともいえそうだ。

2 comments:

  1. いくつかのパートに分けた方がわかりやすいかと思います。
    今回の最終殺処分の種牛に関しては殺す必要はないと思います。私のブログでhttp://kojifarm.exblog.jp/コメントしていますが、まさにのりさんのおっしゃる通りです。
    また、口蹄疫の最強期の殺処分は致し方のない処理方法だと思います。牛は感染しやすく、豚はすぐ死にますが感染してから埋めるまでの間にウィルスを作りまくり、まきまくります。蔓延してしまうと何を信じることができるのか、何を疑うのかが分からなくなって畜産農家さんだけではなく地域全体が疑心暗鬼の状態になります。
    もちろん、川南町でも必死に消毒をして最後まで感染を防いだ畜産農家もありましたが、結局は大きな渦の中に飲み込まれたと言うことになりました。
    この状態で個人の意見を言うことは、村八分になり将来を
    閉ざすことになるのです。殺さずに継続することより
    殺処分に従って再開することの方が生き残ることに
    つながると言う、地域の中の事情があると思います。
    これは法律の問題外のところにあります。

    また、法律でそれぞれの事情を鑑みているとしたら
    その状態の継続中にもっと蔓延した可能性はあったでしょう。
    人間の経済活動の中ではどうしても移動することが起きますから、地域を全滅させることしか知恵を出せないところが法律という手段なのでしょうね。

    メディアに関しては憤慨していることも多々ありますし、
    地方行政がメディアに対して行ったことにも
    憤慨どころではないものを感じています。
    ここでは言いませんけれど。(笑)

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  2. ある医師の話ですと、口蹄疫の流行の初期には迅速な刹処分が必要とのことでした。しかし、最盛期に至った場合、一律の刹処分は混乱と甚大な損失を招くだけで、刹処分のメリットよりデメリットの方が大きいと指摘しています。

    イギリスの様に、牛に関しては獣医師の判断によって刹処分を決める事が出来る程度に緩和した方がいいと思います。オランダも口蹄疫の刹処分を緩和するそうです。

    現行法がどの様な経緯から制定されたか、詳しくはわかりませんが。一律刹処分というのは、制定当時に一般的だったのでしょう。しかし、畜産技術の発展や規模の拡大などを鑑みた場合、外国の例などを参考にしながら、法律も変化して行くべきなのだろうと思います。

    大事な事なのですが、専門的でもあるから、国民的な議論として高まることはないでしょうけれど、識者や関係者は声を上げ続けなければならないと思います。
    (私も専門家ではないし、単に細菌学をかじった事のあるだけのど素人ですから、ここらが限界です)

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