2011/03/18

スイスでの日本の大震災と原発事故の印象

スイスに限らず、多くの在外日本人が、在住国の人から心配され、お見舞いを受けていると思う。私も多くの人から、日本や家族は大丈夫かと聞かれた。期待に反しては悪いだろうから、私は日本で起きた我が家に関する事を大げさに話している。母は動けなくなり、お店は散乱し、東北の友達とは連絡が取れない・・・(確かに事実なのだが)。

私自身は、東日本大震災で揺れを感じた事も、当然なかったし、まわりにいる人も大騒ぎとはならなかった。震災がスイスで報道されてから、まず妻の親類から電話がかかった。しかし、それは遠い出来ごとの様に感じもした。外は全くのどかだったし、人々は何事もなかったように暮らしていた。私が日本人だったから、ネットのライブ中継から目が離せなくなり、パソコンにかじりつき始めた。ただ、それだけ。

津波の映像はセンセーショナルだった。私はネットを通じても見ていたが、流石にテレビでの生映像は迫力が違った。あの映像はスイス人にとってもまた相当な衝撃だった様だ。インフェルノ(地獄)と表現した人もいた。(現実、そうだったと思う)

日本では地震と津波による被害は未だ続いており、二次災害も発生している。余震も収まらない。報告される犠牲者の数は日に日に増えて行く。凄惨だ。しかしスイスではこの人命の失われる惨劇より、福島第一原発の事故がクローズアップされている。不幸中の幸いというべきか、東日本大震災でスイス人犠牲者は出なかった。それも手伝ったかも知れない。

原発事故についてスイスでは、悲観的な報道も多くみられる。最悪と予想される事態、すなわち福島第一原発6基、第二原発4基とも制御不能となるという見方だ。これによって東日本は居住不能となってしまう。

昨日も妻がこの様なニュースに触れ、お前の親類をスイスに呼び寄せるべきだ。うちの方ではみんながそう言っている、と真顔で説得しだす。実際に彼女は、日本の母に電話もした。そもそも母は脊椎の圧迫骨折を起こしていて、動く事すらままならない状態なので、スイスなどに行けるはずもない。それに健康だったにせよ、恐らく日本に止まると言っただろう。

悲観的なニュースは視聴者受けがいいから、どうしても事態を誇大がちに報道してしまうのだろう。海外の報道は所詮対岸の火事を報じる様なものだ。センセーショナルな方が価値がある。それに帰る国のある人にとって、「日本から避難せよ」これが一番安全でもある。

この悲観的な報道には食傷気味だ。しかし、それを終わらせるためには、日本政府も正確に現状を伝える必要があるだろう。現実に起きて映像で伝えられている事と、政府から報道される事とにあまりの温度差があったなら、みんなが不安になる。それは正確ではないと判断するだろう。そこにデマも発生する。悪意に満ちたデマは危険ですらある。

原子炉のある建屋が爆発した映像を見たら、誰だって直感的に恐怖と非常に危険であることを知る。発電所の正門付近の放射線量だけ発表して、ただちに危険はない、などという説明ではあまりにもお粗末だ。

日本政府の報道は、国民をパニックに陥らせない配慮のもとに、事実を過小評価して、あるいは隠蔽を伴って行われている、とも受け止められる。そして国民はそれに不信感を持っている。

海外のメディアも、日本の対応を信じられないのではあるまいか。例えば、日本はまだ第一原発の半径20キロ以内が避難区域だが、アメリカはその4倍の80キロに設定して、自国民の避難を勧告している。この格差は何だろう。これにはおよそ3つの見方が考えられる。

・日本の避難基準がアメリカに比べて緩い
・アメリカ独自の調査によると、事態は日本の把握以上に深刻
・日本は意図的に事実を隠蔽し、地域住民を危険に晒している。

とにかく、IAEAの天野事務局長が要求したように、情報の把握と公開を質・量ともに上げてもらいたい。今のレベルでは、国民の不安は増す一方だし、海外での悲観的報道の度合いも強まって行くだろう。

恐いのは「地震、雷、火事、親父」じゃなくて、「地震、原発、デマ、津波」とも囁かれている。

No comments:

Post a Comment