2012/05/16

19年前のイラン滞在記みつかる

1993年6月、仕事でイランに行きました。その時書いた記録が偶然に見つかり、結構興味深かったので、これをブログにアップします。手書きで残っているので、まだ気軽にノートパソを持ち歩けていなかったのでしょう。手書きできちっと漢字が書けているのが驚きです。笑
もう19年前の事ですので、イランの事情も変化しているでしょう。当時は、イラン人がたくさん日本に出稼ぎに来ていました。

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私は今仕事でイランに来ています。そうです、出稼ぎに・・・。イランには酒はありません。パチンコも(当然か)、ゲームセンターも、ましてやカラオケバーもありません。夜の楽しみなど一つもありません。日本人スタッフは一人で外出することを禁止されています。パスポートもサイトマネージャーに預けられています。すなわち、仕事が終わるまで夜逃げすら出来ないのです。朝現場に出かけ、夜宿に帰る日々です。逆ジャパユキさんと呼んで下さい。

昼に出るイラン食は時々異物が混ざってジャリジャリいいます。水は白い灰汁が浮いているときがあります。米はあの長くてパサパサしたやつです。これにこってり油がかけてあります。蠅がそこら中に飛んでいます。蠅と一緒に食事をしています。食事には必ずコーラがつきます。コーヒーをたのむと変な目で見られます。お前こそ変だっ!米と一緒にコーラが飲めるかっ!

トイレには紙がありません。まともに水の流れるトイレもありません。イラン人は用を足した後、水で洗うそうです。洗浄用のビデみたいなものが用意されています。洗った後は自然乾燥です。因みに私は狙った所に水が当たらず、お尻が広範囲にびしょびしょになります。当然すぐには乾きません。ど、どうしたらいいんだぁ。紙のありがたさが身にしみます。男性も小用はしゃがむそうです。(後で知りましたが、イランと日本では便器にしゃがむ向きが逆です。そこで日本式にしゃがんで用を足すと、便が流れにくいのです。)

小便でしゃがんでも、どうも慣れてないせいか、大の方もしたくなってしまうのが不思議です。なんというか、日頃引き締めている「そこ」が開放的になっているせいか・・・。

現在イランの経済は混乱しています。イラン千リアルが約30円です。だいたいフルーツの値段が1kg(全て量り売り)二千から三千リアルです。60円から90円になります。結構いいスニーカーを買ったところ、二万四千リアルでした。720円です。先日イスファハン(Isfahan)というところに行きました。テヘランから約450キロ南にある街です。このエアーチケットが往復で三万六千リアルでした。1080円です。というわけで、使えども使えどもお金が減りません。

因みにイスファハンは美しい街です。イランに来たら一度は訪れるべき町です。昔の首都(サファビー朝)だった、豊かな砂漠の中の、それでいて広大な緑の広がるオアシス都市です。イランの京都といったところです。

私の働いているところ(テヘランから車で約1時間西に走ったキャラージ Karaj 郊外)は大変乾燥しており、すぐにのどが渇きます。標高が1600mもありますが、日中は30度を超える暑さです。しかし、乾燥のため長袖を着ていたほうが暑さをしのげます。日蔭は涼しく、室内にクーラーは要りません。サイトのすぐ後ろにはエルブルーズ山脈の山並みが迫っていますが、山々に草木の一本もありません。ここら辺一帯は土漠地帯といわれています。

この暑さで人はまともに働けるはずがありません。したがってイラン人も概して働きません。時間も遅れに遅れます。そのくせ終業時間だけは必ず守ります。車の運転は大変荒く、まるで皆がカーチェイスをいているようです。混雑する道路では三車線の道路に車が五列になって走ります。車に定員はないようで(あっても取り締まらない)、一台の車に8人から10人乗っていることもザラです。6人乗りのバイクも見かけました。ヘルメットもしていません。

この様な交通無法地帯で、タクシーに乗るのは命がけです。交通事故は毎日見ます。毎日バスで1時間もかけて通勤しているのですが、怖いです。生きて日本に帰りたいと願っています。ガソリンは安く、1リットルが約3円です。以前は1円だったそうです。

私の経験では、イラン人は知り合いになるととても親切です。そこら辺は日本人に似ています。可哀そうなのは、彼らは概して貧しいことです。バスの運転手の給料が一カ月十万リアルだそうです。うちのサイトのイラン人スタッフ(エリートクラス)で三十二万リアル(約9千6百円)と聞いています。少年も平日働いています。

女性は外出の際必ずスカーフとコートを着用します。夏でも! 大抵は黒でまるでカラスです。町中にカラスがいっぱい歩いているという感じです。これは、私の眼には異様です。今まで色々な国を訪れましたが、残念ながらイランだけはなるべく早く帰国したい国です。
(後年にナイジェリアに行った際は、イランの方がまだましだったと感じた)

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