2010/01/18

検察による政治ショーに思う

民主党小沢幹事長の資金管理団体による政治資金規正法違反(収支報告書虚偽記載事件)のニュースを海の向こうから眺めていると、これはどうしても検察による政治ショーとしか見えてこない。

無論、収支報告書に虚偽記載はいけないし、法律によれば罰則もある。3年以下の禁固または50万円以下の罰金としている。この様な法律違反をしているのだから、違反者は逮捕されて当然という意見もある。

しかし今回の収支報告書の虚偽記載は、最悪でも当時の民主党内の党首選を睨んだ秘書による配慮であって、しかも金額の記載の時期をずらすなどの工作だった。これが行われたのは2004年。民主党が政権を取る5年も前の話だ。

小沢氏は、支払ったお金について「検察当局から問い合わせがあり、隠し立てする金でなかったのではっきりと積み立ててきた個人の資金だと言った。金融機関名と支店名も申し上げた」と言っている。

これについて偽証の疑いがあるとの検察からの見方は今のところない。また、小沢氏自身の贈収賄、ならびに脱税の疑いもない。結局、野党時代の一政治家(の秘書)が行った政治資金の収支報告書の細かな部分の虚偽記載だけが問題となっている。

にも関わらず、当時小沢氏の秘書だった石井衆議院議員は証拠隠滅の恐れありなどの理由で逮捕されてしまった。虚偽記載であれば、物証はもう上がっているのに、何故逮捕までの必要があるだろうか。どう考えても、記載訂正と罰金ですまされる事案だ。

これは検察が仕立てた政治ショーとしか思えない。人気商売の政治家が相手だから、検察権力を利用したこの様なショーは効き目が抜群だ。検察庁はこれに味をしめるだろう。一歩間違えるとこれは検察庁の増長を招きかねず、危険だ。

自営業者ならだれでもわかると思うが、収支報告書に瑕疵のないものなどほとんどありえない。会社の電話で私用電話をかける。これだって厳密には不適切な経費であって、結果的に収支報告書に瑕疵が出る。

いわば、たたこうと思えば誰だって埃が出てくるものなのだ。法は厳密に守らせるものではなくて、社会秩序への影響を加味して柔軟に運用されるべきものだ。今回の逮捕劇は、この本来あるべき運用から逸脱している。

検察は何故このような事をするのだろう。野党勢力から買収でもされているのだろうか。長い自民党政権の中で、こうした旧政権と司法の癒着があっても不思議ではない。

あるいは刑事捜査の全面可視化などを求める民主党に対して、それに反対する検察サイドの組織防衛から来る存在感の誇示なのだろうか。そうだとすれば、小沢氏は格好の材料にされたと言える。なぜなら、故田中角栄の寵児というちょっとダーティなイメージを持つ氏であれば、ちょっとした行き過ぎをやっても、国民からの批判も少ない。

今のメディアの論調がそうであるように、検察側の行き過ぎより、小沢氏のグレーゾーンへの批判を強める方向に世論も向かうだろう。これは検察側のシナリオ通りの展開なのだろう。

今のところ、検察側の行き過ぎを批判する論調は少ない。検察側に対して鈴木宗男氏などが気鋭を上げているが、自身を含めた身内の擁護と受け止められてしまうだろう。

しかし、私はこの様な検察の在り方に疑問を持つ。検察が政治ショーを演出するなど最悪だ。もし今回のショーがうまくいき、これに味をしめたなら、政治家は検察に頭が上がらなくなる。要するにお上の天下が訪れるのだ。

検察などの官僚はそもそも三権分立でその地位が守られている。当然彼らはとても優秀だ。それだけに、支配層としての地位を得やすい。一般市民がこうした官僚支配から逃れる為には、選挙で選んだ政治家の政治主導によるしかない。アメリカの様に政権が変わるとがらっと官僚が変わればいいのだが、日本はそういうシステムになく、官僚の支配が行われやすい。無能な政治家が出れば、これは官僚の思うつぼだ。

日本の官僚組織は、自身の組織防衛のためなら、最もその能力を発揮するのだそうだ。民主党政権が政治主導を打ち出すなら、官僚組織は、その最強の組織防衛力を発揮してくるだろう。検察の今の行き過ぎも実はそんな所なのかも知れない。

しかし、検察国家など頂けない。これではまるで監視国家だ。検察庁は唯一国民を起訴し、刑事責任を問う事の出来る組織だ。それだけの権力が与えられている所なのだから、国民はもっと検察庁を厳しく監視していかなければならない。検察国家などとなれば、冤罪も増えていくだろう。罪のない人を罪に陥れているのは、検察庁であることを忘れてはならない。

法治国家において、人を罰することも必要ではあるが、罰するだけでは社会は良くならない。教育刑という思想がそもそもそうした背景から生まれたものだ。検察の仕事は、政治ショーを演出するのではなく、よりよい社会の為に、人をそして社会を矯正していく、そのための最善の手段を取って行く事である。

3 comments:

  1. 個人的な感覚ですが、田中元首相のロッキード事件など
    日本の政治家に対する検察の関与は何か方向が違うように感じています。
    日本のメディアも国民も、政治家の個人的な瑕疵と日本の政治が進まなければならないこととを混同してしまっている様に思います。
    イタリアやフランスなどでは政治家の個人的な部分と政治家が働かなければならない部分をきちんと分けて考えている様に思います。
    日本人が日本人的な感覚で今回の事件に対処しているのでしょうが、今必要なことは国会が空転してしまうことではなく、今 日本に必要なことを真摯に議論して対応することが求められているのだと思います。
    政治ショーと言う言葉が適切かどうかは分かりませんが、
    現在の政権交代に求められたものをどのようにしていくかを与野党も国民も考えていく必要があると思います。

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  2. 日本のメディアはゴシップメディアですね。しかもみんな同じ方を向いてしまう。元旦に読売新聞を読んだら、一面が小沢氏の収支報告書虚偽記載でした。すっぱ抜いたつもりなんでしょうが、私には見苦しく感じた。

    読売新聞は官僚の犬、はたまた保守系ゴシップ新聞になり下がってしまった。社説なんかもひどい。この新聞、もしかして天下りに牛耳られているのかと思うくらい。

    政治の大きな部分は利害関係の調整ですから、当然そこには大きな金が動くし、利権が絡む。政治の宿命ですわね。腐敗の入り込む危険も多い。

    メディアはそこに警鐘を鳴らす、国民の為の番人でもあるのだから、それなりのプライドが欲しいです。当局のリークを検証もなしに、あたかもスクープの様に垂れ流す。今の新聞は糞も味噌も一緒、三流ゴシップ誌と何ら変わりはない。

    国民も国民で、情報の選択が出来るようにならなくちゃ、やがて自分の生活がとんでもないことになることに気付かなくちゃいけない。国民の質と同等なのがメディアの質でもあるのだから。

    国会が醜い権力闘争の場になって誰が喜ぶのか、もう明明白白なんですけどね。情報操作されるしか能のないメディアがそれを煽っていては、もともとまつりごとはお上のものといった受け止め方の強い国民性の中にあって、救いは少ないですわね。

    あまり悲観的に捉えるよりは、政権が代わって、官僚の反抗が起こり、それに連れてメディアの膿も見えやすくなってきた、と受け止めるべきかも。

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  3. 2ちゃんねるより1/19/10, 4:56 AM

    こんなんがあるみたいね。

    関係者によれば、検察は小沢が辞任すれば小沢をでっち上げ逮捕し、小沢の影響力低下、の筋書きができており、小沢辞任を待っている。ところが辞任しないのでイライラ。

    検察は小沢辞任→小沢でっちあげ逮捕を目論み、前原らを扇動している。
    「辞任→でっちあげ逮捕→無罪。しかし、あとの祭り」は検察の常套手段であることは前例がある。
    「西尾副総理、芦田首相とも辞任後でっち上げ逮捕。吉田内閣成立に繋がった」で明らか。
    2人とも無罪となるが、影響力低下し、あとの祭り。

    西松事件における検察ファッショ・マスゴミのひどさは帝人事件・昭電事件と同じ手法で中国北朝鮮なみだな。
    ただし、ネット今回はが自由であり、多くの選挙民は検察ファッショ・マスゴミのひどさに気付いている。

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