小沢一郎氏。マスコミは国民に人気のない政治家と書くが、小沢を氏を支持する政治家は多く、その政治的実力は認められている。自身の選挙区での支持は圧倒的に厚く、岩手県は小沢帝国とまでいわれる。(メディアが書きたてる通り)国民には人気がないとしても、岩手県民に人気があるのは確かだろう。
小沢氏はあの金権政治で最後は失脚した田中角栄氏の愛弟子。小沢氏に関しては、常に政治と金のグレーな部分が付きまとう。また、小泉元首相の様なポピュリズムで民衆をけん引しようとするタイプではなくて、常に裏工作をして周りを固めていくという、策略家タイプ。
裏方タイプとでもいえそう。裏方タイプだけに、裏では相当手を汚していると勘ぐられる。私も実際にはそう感じてしまう。ただ、これは単にイメージにしか過ぎないのも事実。
仮に小沢氏がグレーで、管氏の様な市民派系の政治家がホワイトだとすると、グレーは根強さを感じる。結果的に管氏は官僚にからめとられてしまった、とも見受けられる。ホワイトだけに操られやすい面があったのだろう。グレーはそういう面では一筋縄ではいかない。グレーな人は敵となれば手強い。
小沢氏は政治主導を打ち出し、官僚機構の改革に乗り出していた。官僚機構というのは、自己保存の必要に迫られた時、最大限の能力を発揮すると言われている。小沢氏と彼の政治勢力対官僚機構という対決構造が生まれた。小沢氏排除の先方となったのが検察だ。また検察審議会を通して最高裁判所の関与も疑われている。いわば司法機関が最高裁判所までも巻き込んで小沢冤罪事件をでっち上げた。
小沢冤罪事件は、もとはゼネコンの裏献金を暴くものだった。しかし検察はその証拠をつかむことが出来ず、単に政治資金の記載違反の共謀という些末な違反事項で起訴を行った。しかも、通常の検察捜査では起訴まで行えず、専門家外の任意的人選で構成される検察審査会での強制起訴という大変苦しい形となった。
この検察審査会の審査員人選で、最高裁判所(事務方)が小沢氏起訴に傾きやすい人選を行ったとの疑惑が持たれている。また、検察審査会で、専門家外の審査員たちを指導する法律専門家が小沢氏起訴を誘導するような指導を行ったことも指摘されている。
大手メディアは報道していないが、今回の判決では検察が事実に反する内容の捜査報告書を作成したと認定している。そしてそれらが作成された理由や経緯、原因究明について検察で十分調査し、対応すべきと指摘している。
小沢氏にはグレーな印象があるので、検察のこのような彼を陥れる行為について批判が生まれ難いという面がある。しかし、検察のこの様な行為は深刻な問題だ。ひとたび検察が犯罪者を作ろうと意図したならば、この様に執拗に、些末な事もあげつらい、果ては捜査報告書のねつ造まで行って人を冤罪に陥れて行く。
金権政治家に立ち向かう検察はまるで巨悪に立ち向かう正義の味方の様に映るが、実態は嘘と悪意に満ちている。検察は決してホワイトではなく、限りなくグレーだ。これでは司法の何を国民は信じてよいのだろうか。国民は検察の意のままに、冤罪によって社会から抹殺されてしまう。全く恐ろしい。日本は圧政国家となっていく。
検察と司法機関の組織はもっと批判されなければならないし、組織の自浄機能には自ずから限界があるので、第三者的な継続的な監査がなされるべきだ。既に検察は何度も不祥事を起こしているので、より厳しく監査されなければならない。
大手メディアは、国民にとって真の問題である検察の腐敗については全く取り上げていない。マスコミはおかしい。単に小沢潰しに奔走しているだけなら、人権問題にも関わってくるし、官僚機構のポチ、手先と批判されても仕方ない。大手メディアへの不信は今後も深まるだろう。
聞けば小沢氏は報道の自由化にも積極的で、大手メディアの既得権益を脅かす存在でもあるという。報道という社会的な責任をないがしろにして、既得権益を守るという自己中心的な目的で小沢批判に奔走するだけならば、大手メディアは腐敗していると批判されなければならない。
小沢報道は全部ウソだったと謝罪の必要
http://gendai.net/articles/view/syakai/136366
小沢無罪判決を多くの人々はどう評したか
http://gendai.net/articles/view/syakai/136349
Subscribe to:
Post Comments (Atom)
No comments:
Post a Comment