日本は脱原発に傾いたと理解していたが、原発推進派の抵抗力はすさまじいものがあるようだ。いまだせめぎ合っているように見受けられる。原発推進派は「原子力ムラ」と呼ばれる利権層が中心となっていて、全日本の電力業界、それに関連する工業業界、官僚機構、メディア業界などが含まれている。この「原子力ムラ」の利権層は強大で、日本の首相を抹殺するくらいの実力を有している。
これに対し、脱原発側は主に市民団体から構成される。行政からも、そして実業界からの支援も薄い。脱原発側の後ろ盾は「フクシマ」で実証された、原発の凄惨さと恐ろしさだ。多くの国民がその被害に遭い、今も苦しんでいる。国民は、出来るならば原発はないほうがいいと思っている。市民団体の力は政治を動かす可能性があり、脱原発の原動力となっている。
こうみると、原発の賛否を巡る問題は、社会の階級闘争という側面が見受けられる。利権を有し強大な原発推進層(支配者層)と自衛のためにそれに抗う市民層(被支配層)が対立し、現状は拮抗状態にある。
市民層は民意を汲んで政治家を動かしているが、推進層は既得権益を利用して市民派の政治家を排除している。メディアは大方が推進層側にいて、市民層の利益を代弁していない。市民層の活動はレジスタンス的で、主な情報発信手段はインターネットに拠っている。
市民層が勝利して日本が脱原発に向かうには、これからも長い、辛抱強い抵抗活動とそれを支持する民意がなければならない。このうち一番の不安定要素は、いつまでその民意の支持が続くかだろう。「フクシマ」の衝撃は数年は続くかもしれないが、そのうちに薄れていく。
また原発の賛否は外交と安全保障問題にもかかわっている。そもそも「原子力ムラ」はアメリカの原子力平和利用政策による外圧によって作り出されたものだ。アメリカは原子力による安全保障のコストを同盟国にも負担させるために、この「平和利用」を進めた。こうして「平和利用」の名目のもと、原理力技術がアメリカより同盟国にもたらされた。原子力発電の技術は数年で軍事技術に転換できる。要するに、原子力発電所のある国は原爆を実質作れる。アメリカとその同盟国は、この圧倒的な核の力によって安全保障が確保されることになる。
アメリカは現在もこの原子力の平和利用政策を改めていない。核兵器廃絶には向かっているが、それは原子力の平和利用政策が核による安全保障を肩代わりしているから、とも受け止められる。日本が脱原発に向かうということは、この平和利用政策に抗するという形となる。よって、日本が完全な脱原発を目指せば、今度はアメリカからその翻意を促す外圧がかかってくる可能性がある。原子力ムラはアメリカの原子力の平和利用政策に守られている。
私は、日本は原子力に依存しないエネルギー政策を取るべきと考える。よって、脱原発側に立つ。しかし、急激な核廃絶は難しいと思うので、既存の原子力発電所は寿命を迎えるまで維持し、新規の原子力発電所は建設しない、という非消極的な原子力依存をするべきと思う。これは現在スイスが取っているスタンスと重なる。スイスは「フクシマ」の後、この原子力エネルギー政策に転換した。
日本が原子力に依存しないエネルギー政策に転換しても、それがソフトランディングを目指すものであれば、恒久的に天然ガス発電が代替え可能との指摘もあるし、そのコスト増はコスト低減努力によって電力会社が黒字経営可能とまでなれるとの指摘もある。
http://norisann.blogspot.com/2012/04/lng_07.html
一方で、今後原子力発電所を建設しようと考えるほかの国々にも関与すべきと考える。ただし、無制限の核開発に協力するのではなくて、その国にとって最善のエネルギー政策ミックス、厳重な安全対策、建設から廃棄までの一貫した、計画的な技術供与、そうした管理的核技術供与のもとに進めらるべきと考える。また、日本もこうした高度な核技術供与の為の核技術力は、エネルギー政策とは切り離して、必要限度維持すべきと考える。
あらゆる国で、野放しで核開発が行われるのであれば、日本の核技術と経験はそうした国々で生かされなければならない。こうした国際貢献はアメリカの原子力の平和利用政策にも抵触しないだろう。
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