「自粛」「不謹慎」同調圧力に警鐘 識者ら
歴史的な災厄に直面する日本社会に今、「正しさ」を錦の御旗に掲げた同調圧力が働き始めてはいないか。識者たちから、そのような懸念が聞こえ始めている、のだそうだ。
東京都は花見自粛に踏み切った。これが引き金となったのだろう。天災発言の石原慎太郎氏、また出てきた。自粛というのは、自分を律する所に本意がある。これを促されたりすれば、それは強制だ。被災者の苦難を思い浮かべた時、花見などする気分になれない、というのは自然な心情で、この心情から花見をしない、と個人が決めれば自粛。しかし、このご時世に花見など!と行政が自粛を呼び掛けたり、報道を強めたりすれば、人々は身動きできなくなってしまう。もうこれは強制の一種だ。
被災地で、ちょっと苦しみを和らげようと、花見をするかもしれない。それすらも出来なくしてしまうだろう。
「贅沢は敵だ」は正しい。しかし、それは自分を律するために必要な正しさであって、人に強要する正しさではない。全ての贅沢品・高級品が社会の敵と化してしまう。もし、「正しさ」への同調圧力が働き始めようとしているとすれば、これは懸念すべき事だ。「正しさ」が錦の御旗をふるう時、誰もこれに抵抗する事は出来ない。戦前に同様なことがあったように。
今回の錦の御旗は、石原慎太郎氏が担ぎ出したかの様に見られるけれど、流石石原氏といったところだろうか。彼の嗅覚は大変鋭い。氏の若かりし頃は、無軌道な「太陽族」を生みだしている。78歳となった今、氏は全く正反対の道を歩んでいる。氏の若かりし頃の様な作家を、現在の氏はどう評価するのだろうか大変興味深い。
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