2011/03/20

菅首相の「撤退などあり得ない。覚悟を決めて下さい。撤退した時は、東電は100%潰れる」の叱責がなかったら・・・

菅直人首相が3月15日、東京電力へのいらだちを爆発させ、自ら東電本店に乗り込み、幹部社員らを前にして叱責。

「テレビで爆発が放映されているのに、官邸には1時間くらい連絡がなかった。一体どうなっているんだ」「あなたたちしかいないでしょう。撤退などありえない。覚悟を決めて下さい。撤退した時は、東電は100%つぶれます」

このニュースを読んで、胸のすく思いがした。よく言った菅総理、えらい。東電幹部は実に無責任。事件が収束したら厳しくその責任を追及してもらいたい。首相らしくない行動、とかの批判もあるらしいが、東電を怒鳴り散らせるなどは、癒着など無関係の菅さんだから出来た事。無責任な巨大企業を叱責、指導、総理としても素晴らしい業績だ。

読売新聞によれば、東電は福島第一の職員を一時退避させることの打診をしたらしい。しかし、計画性のない一時退避というのは、それはやっぱり撤退だ。責任逃避のなにものでもない。会社を揺るがす一大事だったら、普通の会社では、逆に社長すらが陣頭指揮を取って現場に入るだろう。

ところが、東電幹部のやっていたことは、保身。それだけ。

産経の記事を見ると、11日には菅首相は「まず、安全措置として10キロ圏内の住民らを避難させる。真水では足りないだろうから海水を使ってでも炉内を冷却させること」を東電に伝えた。

ところが東電は「そこまでの心配は要らない」。海水の注入には「炉が使い物にならなくなる」と激しく抵抗した。これは何か、住民の人命や災害防止より、自社の損害防止を優先した姿勢に他ならない。緊急炉心冷却装置ECCSがアウトとなれば、それは最後の砦を失っていることくらい、東電は承知の上だったはず。

東電という巨大企業は政治的にも大きな影響力を持っているし、現実に放射能漏れなどの事故が発生しない限り、公権力が私企業の干渉を行う事は法的にも無理。菅総理は忸怩たる思いで東電の「安全宣言」を受け入れたのであろう。

ところが、炉の損害を防ぎたいがために、海水の注入が遅れ、現場のミスも手伝って事態はどんどん悪化の一途をたどる。多分現場は何度も危機を訴えていたに違いない。自衛隊でも何でも助けに来てくれと。自分たちの能力を越えていると。

14日にはとうとう「手に負えなくなった」「社員を全員退避させたい」との打診。これは完全に東電の失態だ。しかも現場ではない、経営判断の失態だ。しかしここに至って対処のしようがない。東電としても、放射能が漏れてしまえば、そこに社員を留めておくことなど出来ない。法律的にも許されない。もし社員が事故死すれば大変な補償と行政処分が待っている。だから「全員退避」だ。

しかし、やることをやらず、保身ばかりで事故を悪化させておきながら、手に負えなくなったら社員の安全確保のため退避、現場放棄が許されるだろうか。菅総理が激怒するのも無理はない。「撤退した時は、東電は100%つぶれます」当たり前だ。

この叱責がなかったら、そのあとの福島50の英雄もなかったろう。何故なら、会社が退避命令を出していたから。今、捨て身で働いている福島第一原発の作業員に日本中が敬意を表しているのは、命をかけてまで、社会的責任を全うしているからだ。東電幹部はその逆だ、事故の初めから社会的責任から逃避している。

私は東電が偉いとは思わない。福島原発の作業員の多くは下請けや関連企業だろう。自分たちがやらなくちゃ、という気概で社会的責任を全うしようとしている人々だ。この人達が偉いのだ。無論その中には末端の東電社員も含まれているだろうが、東電が主体ではない。敢えていうなら「福島50」と当初呼ばれた人達だ。もう人数的には50人ではないけれど、福島50の人達、頑張って欲しい。私は応援している。

最後に東電は今や「倒電」とも揶揄されている。この事実を真摯に受け止めるべきだ。政府は巨大化し、保身にしか走らなくなった公益企業について、今後何らかの対処が必要だろう。

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